直径約23m、高さ約5mの円墳である。玄室の天井は高く、側壁のもち送りが強い。石室の全長15m以上、玄室の広さ(空間の体積)では、奈良県下で2、3番目の石室である。
埋葬施設は横穴式石室であるが、通常のものとは異なり、羨道が玄室の北と南に二つ取り付くという特異な形態を持つとされる。しかし、羨道はもともと一つで、盗掘で奥壁が破壊され、通路になってしまったという説もある。
奥の通路を奥室とみると、この構造を持つ古墳の最も早い時期のもので、築造時期は6世後半から末と考えられ、飛鳥に初めて都が置かれた時期の古墳とされる。特徴的な石室形態から、帰化系氏族が被葬者と考えられる。