主軸を東西に置く前方後円墳。現在の墳丘長は約140mであるが、南側がかなり削られており、後円部を含めてもう少し大きくなることが考えられる。
元禄15年、前方部の「字池田」から出土した猿石が置かれていたが、明治5年に現在の吉備姫王墓に移された。良好な状況で葺石が遺存しており、『日本書紀』の「砂礫を以て檜隈陵の上に置く」という記述と合致する。
宮内庁の調査で、一定範囲で産地の異なる葺石が確認され、桜井や御所などの石が敷かれていることが明らかになった。
全国で6番目の大きさの五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)を欽明天皇陵とする説もあるが、『日本書紀』記述の葺石の施工状況から、あるいは葺石の産地が遠方から運ばさせていることは権力者でしか出来ないことなどから判断して、この梅山古墳が欽明陵の治定に間違いないとの説もある。