『延喜式』に大和坐大国魂神社三座とあり、明神大社に列せられ、月次・相嘗・新嘗の祭りに案上官幣に預かった。大国魂大神と八千戈神はともに大国主神の異名で、大国魂大神は国土経営に貢献し万物の育成化育を司る神で、八千戈神は武勇に勝れた神である。祭神三神はかつて天照大神ともに宮中に奉斎されていたが、神威をおそれた崇神天皇が天照大神を笠縫邑へ、大国魂大神を穴磯邑へ移したのが創祀とつたえられる。奈良時代には、朝廷の命によって唐へわたる遣唐使は交通安全の祈願に参詣し、また「戦艦大和」には守護神として分霊が祀られていた。