桜の名所は吉夢から 妖しくも美しい「桜の精」の物語

美しい桜の精が現れて、謀反人、大伴黒主を誘惑する月岡芳年作「小町桜の精」

《連載》
新日本妖怪紀行|第9回

桜の名所は吉夢から
妖しくも美しい「桜の精」の物語

4月と言えば、桜の季節。全国に桜の名所は数あれど、奈良にはピカ一の名所、吉野山があります。下千本から始まって奥千本まで、吉野の山を美しく彩っていく様は、毎年多くの観光客を魅了しています。また、桜は日本人の心象風景に深く関わっていて、おめでたいことや、何かを始めるときなどに、桜のイメージが重なります。また、散り際が見事なことから、いさぎよいイメージもあります。
今回はそんな、美しく、そして神秘的でもある桜をテーマにお届けします。

吉野山が桜の名所になったのは

大海皇子おおあまのおうじ(生年不明〜686・後の天武天皇)は、大友皇子おおとものおうじとの(648〜672)天皇の後継者争いを避けて吉野山に来られました。日雄寺ひゆうじを住まいに過ごしたある冬のこと、大海皇子は冬に桜が咲き乱れるという不思議な夢を見たのです。その夢を角仁法師に占わせたところ、たいへんな吉夢で、運が向いてめでたい春がやってくるでしょう、と言上されました。そして皇子が窓を開けると、なんと夢のとおり、真冬だというのに桜が満開だったのです。このことから桜を霊木として大切にされたので、吉野山は桜の名所になったと言われています。
桜は妖怪より妖精という感じがします。そんな桜の精霊が登場する話は数多くあり、能では「西行桜さいぎょうざくら」があります。歌人として知られる西行が庵室にいると、花見目当ての人々がやってきます。西行はガヤガヤした雰囲気をわずらわしく思い、花見を禁止します。それでも人が来るので追い返すわけにもいかず、美しさゆえに人を引きつけるのが桜の罪なところ、という意味の歌を詠むと、老いた桜の精が現れて、美しいと思うのもわずらわしいと思うのも人の心によるもの、桜はただ咲いているだけ、と西行を諭すのです。

歌舞伎の舞台

桜の精と言えばなんと言っても歌舞伎の「積恋雪関扉つもるこいゆきのせきあと」でしょう。舞台は逢坂山の関(現在の滋賀県大津市。ただし諸説あり)で、関を守る関兵衛という男がいて、雪が降り積もっているというのに、大きな桜が満開というシーンから始まります。
この桜は仁明にんみょう天皇に愛された桜で、天皇が崩御されてからは、桜が悲しんで薄墨色の花を咲かせていました。でも、小野小町おののこまちの歌の徳によって元の色に戻り、小町桜と名づけられ、今、まさに見事なまでに咲き誇っているのです。実はこの関兵衛は、天下をねらう謀反人、大伴黒主おおとものくろぬしで、その野望を成就させるために小町桜を伐って護摩木にしようとします。
そこに美しい遊女姿になった小町桜の精が現れ「墨染すみぞめ」と名乗り、黒主を誘惑しようとしますが、最後には激しく争い、大立ち回りの見せ場となるのです。
この桜の精が遊女姿から美しい桜の精に変わるところなど、見どころの多い演目です。
吉野山はシロヤマザクラを中心に3万本の桜が咲き乱れます(桜撮影:油谷 勝)

桜の木の下には……

また長野の昔話で、村で評判の、今で言うイケメンの美しい男が桜の精に魅入られ、魂までも奪われて、その木の下で死んでしまうという話があります。
このことを私の事務所の女性に言うと、最近では「桜の木の下には屍体したいが埋まっている」というのが流行はやっていると言うのです。このセリフは明治から昭和にかけて生きた小説家、梶井基次郎かじいもとじろうの『桜の樹の下には』の一節です。時として不安にさせられるほど美しい神秘性ゆえに、桜はそのようなおもいを起こさせるものと思います。
桜をめぐる人の想いは「西行桜」のように様々です。これほど芸術や文化の題材になる樹木も珍しいと思います。この春は桜の下のお弁当だけでなく、桜の持つ神秘性も味わえればと思います。桜の下でうたた寝でもしてみましょう。桜の精が出てくるかもしれません。彼女の誘惑なら負けてもいいかな、と思うこの頃です。
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年4月に取材したものです
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