《連載》
新日本妖怪紀行|第8回
派手で迷惑な怪火出現
奈良各地に伝わる「じゃんじゃん火」
今回は、奈良の怪火にまつわるお話です。火の妖怪は、日本中いたるところに分布していますが、それは多分、夜中に火が燃えていること自体の恐ろしさからきているものと思われます(妖怪でなくても怖いよね)。
怪火は、ただ燃えるだけでなく、音を伴って出てくるものが多いのも特徴で、なんだかにぎやかな気もしますが、実際に出遭ったら、やっぱり怖いでしょうね。奈良にはいろんな怪火の伝説がありますが、その中でも「じゃんじゃん火」にまつわる3つのお話をしましょう。
武将の怨念、怪火となる
怪火が発する音に「じゃんじゃん」というのがあります。それだけを字面で読むと面白いように思いますが、戦で負けた武将の怨念がこもって「残念残念」という叫びが、「じゃんじゃん」になったと言われています。たしかに火が燃えているだけでは、不審火か火の玉か野火かわからないので「じゃんじゃん」と自己主張しているのかもしれません。
怪火の正体が戦国時代の武将、十市遠忠と言われている話を紹介します。遠忠は武勇だけではなく、歌道書道にも通じた文武両道の武将でしたが、天文14年(1545)、49歳で病死してしまいます。その頃が十市氏の最盛期で、以後衰退し、天正4年(1576)、松永久秀によって十市城は落城されてしまいます。
その城跡から遠忠たち十市氏の武将が、怪火となって山を降りてくるのです。それがそのじゃんじゃん火で、雨の降りそうな晩に、城跡に向かって「ほいほい」と二、三度叫ぶと「じゃんじゃん(残念残念)」とうなりを上げて飛んでくるそうです。これを見た者は高熱でうなされ、場合によっては死に至ります。だったら「ほいほい」なんて気軽に声をかけなきゃいいのにね。十市氏の最後の城は天理市柳本町の東、龍王山にありましたが、それ以前に城のあった橿原市十市町の畑の中に、立派な「十市城之跡」の石碑があります。
じゃんじゃん火と戦って黒焦げ
その十市氏の怪火、じゃんじゃん火と戦った侍がいて、えいやっと斬ったと思ったら、お地蔵さんの首が切れていたという、天理市田井庄町の「首切地蔵」を見てきました。
大晦日の夜にこの地蔵堂で休んでいた庄右衛門という浪人に向かって、いきなりじゃんじゃん火が襲いかかり、庄右衛門は必死で刀を振り回しましたが、最後には黒焦げになって死んでしまいました。翌日、庄右衛門の死体にびっしりと奇妙な虫が付いていたということです。そして庄右衛門の刀が当たったのか、お地蔵さんの首が斬り落とされていたのです。現地で見ましたが、たしかに首からまっぷたつのお地蔵さんでした。
センダンの木から出現、火の玉合戦
最後は、奈良市法華寺町の一条通り、法華寺東交差点南西角にある、センダンの古木にまつわるお話。伝説によると、その一条通りのセンダンの木と、そこから南の高橋堤にあったセンダンの木の両方からじゃんじゃん火が出て、合戦したということです。雨が降る夜によく出たということですが、まったく迷惑な話ですね。一条通りの火は公卿の怨霊とも言われ、高橋堤の火は、敵討ちをした兄弟の魂がじゃんじゃん火になったとも言われています。
一条通りの現地の古木は、たしかに元は大木であったと思わせる幹の太さです。屋根もあって、ご近所の方がきっとお世話をしているのだと思います。
怪火は見た者に熱病をもたらしたり、死に追いやったりして被害が大きいようです。他の妖怪は単純におどかして終わり、というのが多いのですが、これら怨念のこもった怪火は、なかなか見た者を許してくれません。だったら、音を鳴らして注目を集めるようなことはしないでいただきたいと思うのですが、死んでも何かひと言、言いたいのでしょう。
御霊信仰の発生を言うまでもなく、とにかく日本人が一番恐れたのは、人の怨みに他ならないのです。
*掲載内容は2016年3月に取材したものです