天狗に剣術を習った武士 源義経と柳生宗巌

鞍馬山の入り口で大きな鼻がお出迎え(京都市左京区)

《連載》
新日本妖怪紀行|第4回

天狗に剣術を習った武士
源義経と柳生宗巌

今回は妖怪の中で神とも言える「天狗」のお話。
天狗と言えば、赤ら顔に長い鼻というイメージが定番。京都の鞍馬山の入り口では2メートルを越すような、大きな鼻の大天狗が迎えてくれます。他に烏天狗や天狗山伏など、天狗信仰は日本全国にあり、代表的な天狗には名前もあって番付まであり、日本人にはなじみ深い妖怪です。
そんな天狗が剣士を育てる話があります。今回は天狗と試合をした代表的な2人の侍をご紹介します。

650万年前、金星より降臨

天狗に剣術を習った武将で最も有名な人物と言えば、なんといっても源義経でしょう。幼少の頃の名を牛若丸と言い、武蔵坊弁慶と京の五条大橋で対決した話はあまりにも有名です。このとき、ヒラリヒラリと体をかわした術が、鞍馬山の天狗に習った術と言われています。壇ノ浦の戦いで、身軽に八艘はっそう先の船まで飛び移れたのも、この天狗の術だったのです。
鎌倉時代に著された『保元ほうげん物語』には、鞍馬寺から貴船神社に至る渓谷「僧正そうじょうガ谷」を、義経が夜な夜な越えて行く姿は常人ではないと記されています。
この僧正が谷も、今ではパワースポット化しています。山中に建つ「僧正ガ谷不動堂」の辺りは今も霊気が漂い、その本尊のいわれがそもそもSFチックです。なにしろ650万年前に金星より降臨したサナトクマラという天狗の姿をした魔王がご本尊なのですから。魔王像のご開帳は60年に1度で、前回見逃したので、次回は2046年。私が生きて見ることは難しいかも。牛若丸はこの僧正ガ谷に住む天狗や化物と、夜な夜な剣の腕を磨いたと言われています。
金星から降臨したサナトクマラの「僧正ガ谷不動堂」

一刀のもとに巨石がまっぷたつ!

さて、奈良にも天狗に剣術を習った剣豪がいます。柳生心陰流の継承者、柳生宗巌やぎゅうむねよし、またの名を柳生石舟斎です。奈良市柳生町にある「天石立あまのいわたて神社」が天狗と剣の試合をした場所で、付近は戸岩谷と呼ばれています。現地に行ってみると、鞍馬のようなシンとした霊気が漂っていました。
宗巌がまだ新陰流の剣士でなかった頃、新陰流の創始者、上泉信綱かみいずみのぶつなに勝負を挑みましたが彼の弟子にすら勝てませんでした。そこですぐに新陰流に入門し、新陰流の皆伝印可かいでんいんかが得られる永禄8年(1565)までの3年間、戸岩谷で修行したという伝説があるのです。
ある日、村人がそこで、宗巌が天狗と試合をしているのを目撃します。彼が天狗を一刀のもとに切ったと思いきや、大きな岩がまっぷたつに切れていました。それが今、神社の奥にある10メートル四方もの大岩「一刀石」なのです。たしかに、きれいにまっぷたつ。さすが剣豪、きれいな切り口です。
抜群の切れ味が残る「一刀石」(奈良市柳生町)

高天原から飛んできた戸板型の巨石群

この天石立神社のご神体は、3枚の戸板形をした巨石と大きな「きんちゃく岩」で、神代の昔、天照大神あまてらすおおみかみが天の岩戸にお隠れになって、世の中が真っ暗になったとき、天手力雄命あめのたぢからおのみことが天の岩戸を思いっきり引き開けました。すると、力余ってビューンと高天原たかまがはらからここまで岩戸が飛んできたのです(そう言われている所は、他にもありますが)。
そのそれぞれの岩に、天照大神など、神が宿っていて、いずれも6〜7メートルの巨岩です。見る者を圧倒し、眺めていると立ち去りがたい魅力を感じます。
奈良市内というのに携帯電話も通じない所で、巨石がごろごろ重なって、そこは天狗が跳梁ちょうりょうする格好の舞台。天狗は妖怪の中でも神格化され、一般の里で見かける妖怪とは、ひとつ格が違うのです。
戸板型の巨石が並ぶ「天石立神社」
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2015年11月に取材したものです

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