鬼と戦った人 道場法師と渡辺綱

渡辺綱の養母に化けた茨木童子が腕を持って走り去る月岡芳年画「老婆鬼腕を持去る図」

《連載》
新日本妖怪紀行|第3回

鬼と戦った人
道場法師と渡辺綱

今回は妖怪の代表格である「鬼」のお話。
でも、鬼の定義はとてもむずかしく、形のあるものないもの、人が化けたもの、物が化けたもの、地獄の獄卒、外国の鬼、修行する鬼、権力に歯向かう鬼、神としての鬼など、実にバラエティーに富んでいます。
また、鬼が付く動植物の名前やことわざも、鬼おこぜ、鬼あざみ、 鬼の目にも涙など、いっぱいあります。
鬼はあまりにも範囲が広いので、今回は「鬼と戦った人」というテーマに絞ってみました。

雷が授けた子、道場法師の活躍

奈良の伝説では、道場法師どうじょうほうしが元興寺の童子であった頃に鬼と戦った話があります。道場法師は『日本霊異記にほんりょういき』などに登場する雷が授けた子どもで、生まれつき力が強いのです。

昔、御所馬場ごしょのばば(現在の奈良市高畑町)に松浦という長者の家があり、ある夜、一人の盗賊が忍び込みました。でも、長者はひるむことなく賊を捕らえ、谷底に投げ込んでしまいます。すると、賊は死んで鬼となり、毎夜、元興寺の鐘楼に現れるようになりました。そのときに勇気を持って格闘したのが、寺の童子(後の道場法師)なのです。

激しい取っ組み合いをやりましたが勝敗はつかず、鬼は朝が近くなり鬼隠山きおんざんの方向に逃げます。法師は追いかけましたが鬼は消えてしまい、その場所が、今の猿沢池から少し南に下って東に入る道「不審ヶ辻子ふしんがづし」なのです。
不審ヶ辻子は奈良ホテルへの近道として、今は人が行き来しています。当然、鬼が出てくる気配はありません。この話は文献により、長者が鬼隠山から鬼を谷底に突き落としたとか、鬼をせっかく道場法師が捕らえたのに、他のお坊さんが怖がって灯りを当てなかったので逃げたとか、賊を道場法師が殺したとか、諸説あります。
不審ヶ辻子にある案内板

鬼が出た京都最恐の魔所、一条戻橋

さて、他にも鬼と戦った人を一人挙げるなら、私は渡辺綱わたなべのつなを推したい。それも、彼の大将である源頼光と一緒に酒呑童子を退治した話ではなく、京都の一条戻橋に出た鬼の話。
渡辺綱が夜更けに馬に乗って、京都の一条戻橋にさしかかると美しい女が、「夜も更けて、恐ろしいので送ってくれないでしょうか」と言います。すぐに綱は美女を馬に乗せ、どこまで行けばよろしいか、と聞くと「行く所は愛宕山ぞ」と言い、鬼の姿になって綱の「もとどり」をつかみ、乾の方向(西北)を目指して飛び上がったのです。
でも、さすがは渡辺綱。少しも慌てず、刀を抜いて鬼の腕を切り落とします。綱が落ちた所が北野天満宮の屋根で命に別状はなく、さっそく頼光に鬼の腕を見せ、安倍晴明に相談すると「7日の間、屋敷を出ず、七難を防ぐ仁王経にんのうきょうを読むこと」と言われます。
綱は晴明の言葉に従って屋敷から一歩も出ませんでしたが、6日目の夜に門をたたく者があり、聞けば綱の養母(伯母)だと言います。今は誰にも会えないと綱は説明しますが、養母はさめざめと泣き「これからは親とも子とも思うな」とさんざん責めたてるので、さすがの綱もこれには参り「たとえ我が身はどうなろうとも」と言って門を開けてしまいます。話をするうちに、養母が、その鬼の腕なるものを見たいと言うので、見せた途端、「これは、わが手ぞや」と言って飛び上がり、破風(屋根下の妻側部分)を破って逃げたのです。
この話の詳細は『平家物語』の剣の巻などにあります。でも、今は一条戻橋の現地に行っても、ちっとも怖くありません。あしからず。
不審ヶ辻子(奈良市)のこの道を、鬼が逃げて消えました

茨木市のマスコットキャラクターに

ここでのポイントは、なぜ鬼が綱の家にすぐに押し入らずに、養母に化けたのかということ。つまり、人が住む家はひとつの結界であり、化け物は勝手に入れないのです。これは洋の東西を問わず、古典的な演目や19世紀以前の伝説や小説に、よくある設定なのです。
この話は歌舞伎などの古典的な演目となって広く親しまれ、また、この鬼は大阪の茨木市の昔話に出てくる茨木童子であると言われ、現在は、市のマスコットキャラクターになっています。時代も変われば鬼も変わるのですね。
茨木市の駅前にある、市のマスコットキャラ「茨木童子」
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2015年10月に取材したものです
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