柳生の殿様、ひとめぼれの女 お藤の井戸

これが「お藤の井戸」。古くて、それらしい雰囲気があります

《連載》
新日本妖怪紀行|第20回

柳生の殿様、ひとめぼれの女
お藤の井戸

人生において、何が幸運を招くかわかりません。でも常に頭の回転を早く、とっさのときに機敏に対処できるよう心がけておけば、「いざ」というときにチャンスをつかむことができます。

今回は柳生一族を代表する成功者、柳生但馬守宗矩やぎゅうたじまのかみむねのりを一瞬で感心させ、側室となった女性のお話です。

講談や小説で人気の武将

柳生但馬守宗矩と言えば、徳川家の兵法指南役。その父、柳生宗厳むねよしとはこのコーナーの連載第4回「天狗に剣術を習った武士」でご紹介した新陰流の達人、柳生石舟斎せきしゅうさいのことです。石舟斎は天狗との試合で大きな岩を、一刀のもとにまっぷたつにしたという伝説があります。それからその刀を「大天狗正家まさいえと呼び、宗矩へと受け継がせました。
宗矩は慶長20年(1615)の大阪夏の陣のとき、この宝刀、大天狗正家を用いて豊臣方の剣豪7人をあっと言う間に倒したと言われています(異説あり)。
そして柳生一族で最も有名な剣士、柳生十兵衛(本名、柳生三厳みつよしの目を隻眼せきがんにしたのは、十兵衛の父である宗矩が月影の太刀を伝授するときに傷つけたから、という伝説があります。とにかく講談や小説によく登場する人物で、映画「柳生一族の陰謀」や、大河ドラマ「春の坂道」などに出てきますので、時代劇のお好きな方なら宗矩のことはご存じでしょう。
柳生石舟斎(宗厳)の刀の切れ味が残る「一刀石」

宗矩を感心させた女

奈良市白毫寺びゃくごうじ町から柳生の里までを結ぶ道を、柳生街道と言います。その中の名所に「お藤の井戸」と呼ばれる古い井戸があり、そこに宗矩にまつわる伝説があります。
宗矩が奈良へと向かう途中、井戸の水で洗濯をしている娘たちを見つけます。「娘たちよ、桶の波の数はいくつあるか」とたずねたら、みんな緊張して言葉も出ないところ、1人だけが「21波でございます」とすぐに答えました。そして「殿様、柳生からここまで馬のヒズメの跡は、いくつございましたか」と逆に問い直され、宗矩はぐっと返答に詰まってしまいました。そのとっさの機転と才気と美貌に感心した宗矩は、その場で娘を馬に乗せ、柳生へと帰ったのです。
この話は、昔話特有のさまざまなバリエーションがあります。娘が1人だったり、波の数を答えずにいきなりヒズメの数を問いかけたり、いろいろあります。でも共通しているのは娘の名を「お藤」と言い、井戸は「お藤の井戸」と名づけられたということです。しかも井戸は、今も現存しています。
このお藤さんは柳生氏の菩提所、芳徳寺ほうとくじの第1世住持、烈堂れつどう和尚(幼名六丸)の母であると言われています。一般にはこの烈堂和尚、漫画の『子連れ狼』で悪役「柳生烈堂」のモデルになって、他の人の作品でも悪役になっていることが多く、ちょっとかわいそうな実在の人物です。また阪原町の地元には「仕事せえでも器量さえよけりゃ、おふじ但馬の嫁になる」という、ちょっと皮肉ったような里歌が残っているそうです。
井戸のそばにある現地の解説板

現存するお藤の井戸

現地に行ってきました。とにかく井戸がどこにあるのかとってもわかりにくかったので、畑仕事をしている女性にお聞きしたら「ここをまっすぐ行って、料理旅館の横の道を下りて、ちょっと行った右手にあるよ」と教えてくれました。もし、当時からある井戸だとしたら400年以上前から現存していることになります。見ましたが本当にそれらしい古井戸で、上からのぞいても底がどこまであるのかよく見えませんでした。

今も昔も、ちょっとした言葉のキャッチボールで人の印象は変わります。即答と機転が運を開く秘訣ですね。
底の方まで見えない「お藤の井戸」
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2017年3月に取材したものです
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