ヤジに怒って引き返した神 津風呂の神と大名持の神

吉野川をはさんで向かって左が妹山、右が背山。浄瑠璃の舞台そのままの景観

《連載》
新日本妖怪紀行|第15回

ヤジに怒って引き返した神
津風呂の神と大名持の神

今年の春に「妹背山婦女庭訓いもせやまおんなていきん」の人形浄瑠璃を見ました。傍若無人な蘇我入鹿そがのいるかに苦しめられて抵抗する人々の物語で、さまざまな伝説などをふんだんに盛り込み、壮大なスケールで描いた王朝物の傑作です。その中の「山の段」は、吉野川をはさんだ妹山いもやま背山せやまを背景にした場面で、最も華やかであり、かつ恋する二人が亡くなるという悲劇の場面でもあります。
今回は、その物語の舞台となった妹山周辺に行ってみました。

「河童です」のマジな答えにビックリ

実際の妹山には行ったことがなかったので、ワクワクしながら近鉄「大和上市」駅を降り、タクシーに乗り換えました。

吉野川沿いを走りながら運転手さんが、「この辺の川は事故が多いんですよ。今年も川に引き込まれて亡くなった人がいてね……」と話すので、ここぞとばかりに「河童ですか?」と聞くと「そうです」と、マジな答えが返ってきました。「え、本当に河童なんですか?」と、もう一度聞いても「そうです。河童です」とマジメに答えます。そこまで言われれば、こちらも妙に納得して「河童は今も吉野川にいるんだ〜」と思わざるを得ませんでした。

眼下に津風呂湖を見下ろす津風呂神社。とても急な階段の上にあります

チャビン、チャビンで出張取りやめ

今回の伝説は、妹山から少し奥に行ったところ、昔、竜門と言われた山の集落だった場所にある津風呂つぶろ春日神社」にまつわるお話。
ここの津風呂の神が旧の十月(神無月)に「出雲へ行こう」と妹山の山道を急いでいたところ、そこにある大名持おおなもち神社の神が上から見ていて、「チャビン、チャビン、どこに行く」と、からかったのです。津風呂の神の頭が、あまりに光り輝いているのがおかしくて、つい言ってしまいました。
チャビンとはつまりハゲ頭のこと。つるつるした茶瓶のような頭のことを言います。ちなみに関東では「やかん」と言います。

津風呂の神は「ハゲにはなあ、病気なし悪人なし、と言うんやぞ」と言い返しましたが、大声で笑う大名持の神を見て怒りのおさまらない津風呂の神は、プイッと元来た道を帰ってしまい、出雲には行かなかったのです。このようないきさつから、日本中の神が出雲に集まる神無月に、津風呂の神は行かなくなってしまいました。

そして、昭和37年(1962)にできた津風呂ダムにより、津風呂の村は湖底に沈みました。この津風呂春日神社は、津風呂湖(ダム湖)を見おろす位置に移され、今は遠く竜門岳を仰ぎながら、周辺の人々を見守っています。
国体の競技でも使われる津風呂湖。遠くに見えるのは日本三百名山のひとつ竜門岳

人が入ることのできない山「忌山」

さて、そのからかった大名持神社は、貞観元年(859)に正一位という、神社では最高の位を授かった神社ですが、現在は河原屋の氏神として親しまれています。
しかし、その背後にそびえる妹山によって、この神社の重要度はとてつもなく高いのです。大名持神社の境内でもある妹山は、本来忌山いみやまと呼ばれていたようで、山におのを入れさせない、信仰の山なのです。

つまり人が入れない、人の手が入っていない山なので、ツルマンリョウ・ルリミノキ・テンダイウヤクなどの珍しい植物が自生しています。中でもツルマンリョウは屋久島や山口県にしか自生していないもので、植物学にくわしい昭和天皇が見にいらっしゃったことでも話題になりました。

妹山と背山、女の山と男の山。この二つの山の間を流れる吉野川の風景は、そのまま浄瑠璃の舞台に見えます。今度来るときはゆっくりと、津風呂湖温泉にでもつかって、吉野川の河童とたわむれたいと思います。
大名持神社と、背後にそびえる原生林に覆われた妹山(忌山)
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年10月に取材したものです
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