雷を二度つかまえた男 忠信、小子部栖軽の物語

ここが雷丘。階段が崩れていますが、上に上がれます

《連載》
新日本妖怪紀行|第14回

雷を二度つかまえた男
忠信、小子部栖軽の物語

今も昔も恐いものに雷があります。今はビルが林立して空が小さくなり、なかなか「空を見る」ということ自体、少なくなった気がしますが、昔は視界の妨げになるようなものがほとんどなかったので、見上げると空一面の黒雲にイナズマが走るという、それは恐ろしい光景だったことでしょう。

そんな雷が地上に落ちて人につかまった話は各地にあります。その中でも奈良にまつわる『日本霊異記』に記されているお話をご紹介します。

難題をあっさり引き受けて

雄略ゆうりゃく天皇が当時(5世紀)の大和朝廷にある磐余いわれの宮におられたときのこと。天皇と皇后は大極殿で寝ておられました。すると家来の小子部栖軽ちいさこべのすがるが、ぶしつけにもそこに入ってきたのです(一説には寝室をのぞいたとも言われています)。天皇は、そのときちょうど雷鳴がとどろいたので、とっさに「おまえは雷をここに招いてこられるか」と聞きました。(いきなり見られたので、あわてて口をついて出たのかも)。でも彼はためらうことなく「では、雷をお招きして参りましょう」と、あっさり引き受けたのです。
栖軽は、赤色のかずらを額に付けて身支度を整え、赤旗を付けたほこを捧げ持ち、馬に乗って、阿部の山田村(現在の桜井市山田)の前の道と豊浦寺の前の道を通って走って行きました。
かる諸越もろこしという所の分かれ道で「雷の神よ、天皇がお呼びですぞ」と大声で叫び、そこから引き返しながら「雷神といえども、天皇のお招きに応じないことができようか」と言い、馬を走らせて行くと、なんと目の前に雷が出現したのです。
すぐに栖軽は神官を呼んで輿こしに入れ、宮殿へと運び「雷神をお招きしました」と天皇に告げました。天皇は「え〜、マジで連れてきたの〜」と思ったかもしれません。雷神が不気味に光ると天皇は恐れ、うやまい、幣帛へいはくを供えて、雷が落ちた所に返させました(せっかく連れてきたのにね)。そこが現在の高市郡明日香村いかづちにある雷丘いかづちおかです。
雷丘の上。けっこう広いです

死んでも捕らえるすごい奴

そのあとで栖軽は死にました。天皇は七日七夜遺骸をとどめ置かれて、栖軽の忠信をしのばれました。そして、雷が落ちた場所に墓を作って「雷を捕らえた栖軽の墓」と書いた碑柱ひちゅうを立てたのです。するとそれを見た雷は怒って雷鳴と共に落ち、栖軽の碑柱をふみにじりました。ところが雷は柱の裂け目にはさまって、動けなくなってしまったのです。

天皇はこれを聞いて雷を放してやりましたが、雷はあまりのことに七日七夜、ぼうぜんとしていたということです。天皇は、もう一度碑柱を作り直させ「生きても死んでも雷を捕らえた栖軽の墓」と書かせました。

雷丘の案内板。柿本人麻呂の歌が書かれています

雷丘は古代人のお墓かも

現地に行ってみました。交差点名が雷ですので、場所はすぐにわかります。雷丘は小高い丘で、登ってみましたがこれといったものはありません。でも2005年に埴輪のカケラが見つかったということですので、小子部栖軽の墓が本当にあったのかもしれません。こんもりとした雷丘に栖軽が石棺に入って眠っていると思うと、とても興味深いです。

彼は『日本書記』にも登場しますので、実在の人物であったことでしょう。『日本書記』では雷ではなく、大蛇の姿をした三諸岳みもろのおかの神を捕らえたことになっています。

とにかく、神々しくも妖しいものを、そのとき何か捕らえたはずです。または、それらになぞらえた人物をつかまえたかも……。飛鳥周辺には多くの謎が満ちています。他県にはない歴史遺産の宝庫ですね。

交差点名で、すぐにわかりますね
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年9月に取材したものです
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