少しのすきに嫁が行方不明 恋に狂った女の執念、蛇と化す

これが嫁取り橋。本文にあるように、本当に特徴のない橋です

《連載》
新日本妖怪紀行|第12回

少しのすきに嫁が行方不明
恋に狂った女の執念、蛇と化す

女がいとしい人をおもうあまり心が鬼となり、体が蛇となって男の後を追う話は、和歌山の「安珍清姫物語」が有名です。清姫は、毎年、熊野に参拝に訪れる安珍にれて言い寄るのですが、逃げられ、その後を鬼の形相で追いかけて、最後は大蛇となって鐘に隠れた安珍もろとも焼き殺すという、道成寺に伝わる伝説です。
でも、そんな大蛇伝説は奈良にもあります。今回は、イケメンの飛脚に恋した女の恐ろしいお話です。

願掛けの飛脚と、思い込みの激しい女

大和郡山市の八条町に、何の変哲もない古くて小さな橋が小川に架かっていて、ただ「嫁取り橋」とだけ書かれています。そこには、こんな伝説が伝わっています。

昔、この近くの筒井村に茶店ちゃみせがあって『こまの』という18歳になる女がいました。その店の前を大阪に向かってひんぱんに走る飛脚がいて、その男が今で言うイケメンで、女は男が通るのを、毎日心待ちにしていました。
ある日、男が夕方に通りかかったので、こまのは「夜道はあぶのうございます。また、この先、道も悪くなっていると聞いています。どうぞ今夜はここに泊まっていってください」と言い、無理やり男を自分の茶店に引き入れたのです。
夜が更けて男が気がつくと、部屋にこまのが立っているではありませんか。しかも異様な形相で言い寄ってくるので、男はあわてふためいて茶店を飛び出し、一目散に東へと逃げました。実は男は親が病気で、その病を治すために3年間、女を断つという願掛けをしていたのです(ということは、本来すごいプレイボーイだったのでしょうね)。

逃げた男をこまのは追いかけます。男は隠れようと、ふちのそばにある大きな木に、履き物を脱いでよじ登りました。こまのはその履き物を見つけ、淵の中を見ると木の上の男が水面に映っているではありませんか。それを見て「そこか!」とザンブと飛び込むと、その執念から、こまのの体は大蛇へと変わってしまったのです。

大蛇になって男を追いかける伝説の代表格「安珍清姫物語」の清姫
月岡芳年画「新形三十六怪撰」より

大蛇のしわざ、嫁取り橋の由来

それ以来、こまのの大蛇は女と見れば「恋しい人を取られる」と思い、次々と襲うようになりました。そんなある日、かごに乗った花嫁が淵の近くの橋を通りかかると、急に雨が降ってきました。籠かきが近くに雨具を借りに行って戻ってくると、花嫁の姿がありません。おそらく大蛇のこまのが雨を降らせ、籠かきがいなくなったすきに花嫁を襲ったのだろうということになり、それ以来、その小川にかかる橋を「嫁取り橋」と言うようになりました。

手作り感満載の橋名板。裏に現市長のお名前が……

まさかとは思いますが、市長直筆の橋名板?

ということで、現地に行ってきました。この橋「嫁取り橋」と書かれていなければ、特別に固有の名前が付くような橋でもなく、古くて小さい、なんの特徴もない橋です。でも、その筆で書かれた橋名板きょうめいばんの後ろをのぞくと「平成二十一年八月二日、大和郡山市長、上田清」と同じ筆の文字で書いてあるのです。「え〜、これって市長の直筆?」と思うと、大和郡山市の住民でもない私が、とても親近感を感じてしまいました。だって本当に、市長が自分で板を探してきて書いたような、手作り感のある橋名板なのです。

その嫁取り橋から85mまっすぐ北に行くと、嫁取り橋の石碑があります。平成21年8月22日に下ツ道しもつみち保存研究会が建立したもののようです。そう、嫁取り橋の道は、実は『日本書紀』にも記されている大和三道のひとつ「下ツ道」なのです。つまり嫁取り橋をまっすぐ北に向かえば朱雀大路にあたり、平城京へと至ります。また、南へまっすぐ行けば藤原京になるのです。

ひょっとして、当時から橋があったとしたら、もっと立派な橋だったのかも知れませんね。
大和郡山市と天理市の境の道路沿いにある、嫁取り橋の石碑
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年7月に取材したものです
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