平安の大妖怪 「玉藻前(たまものまえ)」

月岡芳年作「奈須野原殺生石之図」。殺生石を背にする玉藻前

《連載》
新日本妖怪紀行|第1回

平安の大妖怪 「玉藻前たまものまえ

新日本妖怪紀行の第一回目、日本人になじみの深い妖怪を紹介します。あるときは化物、あるときは神の使い、あるときは動物……そう「きつね狐」です。その中でも平安京を揺るがせた大妖怪、玉藻前についてお話しします。でも、本サイトは奈良が中心ですので、まず、奈良の狐伝説を訪ねてみましょう。

かつては古市の魔所、狐塚

では、奈良市古市の狐塚のお話です。その昔、狐塚が田んぼの中にあるので邪魔になり、ある男が「かまうものか」と塚を削ろうとしました。するとその夜、男が便所に入ってふと見ると、西の方に妖しい火が。何だろう、とその方へ歩いていったら、そのまま帰ってこなかったのです。それ以来、古市の人は恐れて狐塚に近寄らなくなったということです。

何の案内板もないので、そこが古墳とわからない狐塚

さあ、果たして現在はどうなっているのか。現地に行ってきました。
さんざん探し回って、ようやく見つけた狐塚はすでにかなり削られていて、資料によると「10㎡の古墳」とありましたが、実際には3分の1もない有様で、かつては横穴式の石室もあったようです。

唯一、古墳であることを示すのは、覆っていた葺石がたくさん散らばっていること。ここから須恵器や耳環(イヤリング)が出土しているのですから、案内板がほしいところです。狐塚の怪火の伝説と併せて、保存していただければと期待します。

古墳に貼りつけるように 葺(ふ)いた石がごろごろ。これらが唯一、古墳の名残

インド、中国、日本をまたにかけ

さて、今回のヒロイン玉藻前の登場です。久寿元年(1154)、鳥羽の御所に美しい遊女が現れ、名を化性前(けしょうのまえ)と言い、その美しさゆえに鳥羽院の寵愛を一身に受けることとなりました。

ある夜、嵐で燈火が消え、まっ暗闇の中、化性前の体から光が放たれ、殿中を明るくしたことがありました。普通に考えたら、そんな変な女、化物に違いないと思うでしょうが、鳥羽院は「ぞっこん」なので「よほど前世で善行を重ねたんだろう」と、信じられないようなプラス思考で受けとめ、名前を「玉藻前」と改めさせるのです。

以後、院は病に倒れます。そして玉藻前が院のそばに行くたびに悪くなっていくのですが、原因がわかりません。

そこで陰陽師、安倍泰成(あべのやすなり)が玉藻前の正体を暴きます。彼女は下野国(今の栃木県)那須野に棲む八百歳を経た大狐で、生まれは天竺(インド)。仏法を滅ぼさんと、インド、中国を荒らし回って日本に来たと泰成は言うのです。

正体がばれた玉藻前は、那須野に帰ります。それを追って上総介(かずさのすけ)と三浦介(みうらのすけ)の二人の武将が追いかけ、見事、妖狐を討ち取りました。

後日談、ガスまき散らす殺生石(せっしょうせき)

さて、ここからが後日談。曹洞宗の高僧、源翁和尚(げんのうおしょう)が那須野を通りかかったとき、道の端に大きな石がありました。源翁がそこにいた女性に聞くと、「これは殺生石と言って、近づくと生き物の命を奪う恐ろしい石で、玉藻前の怨霊が石と化したもの」と言うのです。

それを聞いた源翁が、その場で説法すると石は粉々に砕け散り、これにて玉藻前(実はその女)も、ようやく成仏します。この成仏するくだりは、能の「殺生石」という演目になり、全体の話は絵巻物「玉藻前草子」になり、江戸時代の草双紙のネタとなって、一般に知られています。

19世紀から20世紀にかけて活躍した妖精画家、ウォーリック・ゴーブルが描く殺生石「狐の姫、玉藻前」。成仏する玉藻前と源翁和尚が見える

石のそばに狐の尻尾

殺生石は栃木県那須町に実際にあり、私、早朝6時に行って参りました。なにしろ賽の河原と呼ばれている所ですので、とても寂しい場所です。千体地蔵という手を合わせた姿の地蔵があったり、天罰を受けた教傳(きょうでん)というお坊さんの地蔵があったり、盲蛇石という不気味な石があったり、訪れる人を、あえてビビらせようとするかのようなものが点在しています。

その中でもきわめつけの殺生石は奥まった斜面にあり、そこには「立入禁止。硫化水素ガスが発生しています」と書かれた札がありました。それで、柵の外から写真を撮ったのですが、これが、あとで大後悔。
母の用意したお膳を蹴とばした不良坊主、教傳がここで火炎地獄に墜ちたと言われます
室町時代、火砕流の被害にあった人々の供養のための千体地蔵。これだけ並べば、なかなかの迫力
というのも、帰ってよく見ると石の間に狐の尻尾のようなものが写っていたからです。ガスは出ていなく、人も私以外いなかったので、もっと近くで撮ればよかったのです。
これが殺生石。石の右下に狐の尻尾のようなものが……

地元の人に聞くと、ガスが出なくなったのは東日本大震災からだそうで、それまで出ていた硫黄の煙がどこかに溜まっているかもしれない、いつか爆発しなければよいが、と言っておられました。
そう、ここは活火山で、上の方には那須茶臼岳の噴火口があり、この下は温泉街です。生き物の命を奪う殺生石のガスも、火山活動のひとつと思いますので要注意です。

また、ほど近い所に那須神社があり、その横に九尾稲荷大明神があり、中に金色の九尾の狐の像が祀ってあるそうです。

またいつか、尻尾の正体を見届けに行きます。
賽の河原(栃木県):とにかく寂しい所です。でも、この荒涼感が気持ち良かったりもします
九尾稲荷大明神。名前だけでも妖怪好きはシビれますね
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2015年8月に取材したものです
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