〈川上村〉水源地の村の大自然が紡ぐ、白く輝く「高原乃糸」(貝谷製麺所 貝谷耕治郎さん) 自然と暮らす 2023.3.27 みょ 貝谷耕治郎さん(左)と妻の明日香さん 《連載》自然と暮らす vol.179 貝谷製麺所/貝谷耕治郎さん 水源地の村の大自然が紡ぐ白く輝く「高原乃糸」 およそ1200年前に桜井市三輪の地で誕生した日本の伝統食「素麺」。中でも奈良で作られる「三輪素麺」は、“細きこと糸の如く、白きこと雪の如し。ゆでてふとらず、全国に出づるそうめんの及ぶところにあらず”(『日本山海名物図会』1754年、平瀬徹斉)とも評され、皇室に献上されるほどの高い品質を誇る。 貝谷製麺所は川上村で50年近く素麺づくりを行う、村唯一の三輪素麺製麺所。同村で林業を営む貝谷幹郎さんが、冬の副業として始めたことがきっかけで、現在は息子の耕治郎さんが代表を務める。 耕治郎さんが素麺づくりを始めたのは22歳の時。「両親の働く姿を幼い時から見ていたので、仕事は基本見て学ぶことが多かったです。ただ一つよく言われたのは『自然に逆らわない』こと。自分たちの都合や思いで作るのではなく、気温や湿度などの自然条件に合わせることを大切にしています」 門干しの工程。天日干しのイメージが 強いが近年では室内が多い 製麺所の朝は早く、早朝3時から仕込みが始まる。貝谷製麺所では2種類の小麦粉に水と塩、吉野葛を加えて生地を練り上げる。「ここで分量を間違えば、どう頑張っても後から巻き返すことはできません。天気予報を確認しつつ、生地の状態を手の感触で確かめながら粉や水の分量を調節します。素麺づくりは経験と勘がとても大事です」 練り上げた生地はねかし(熟成)と延ばす作業を繰り返し2mまで延ばす。そして水分を均一に乾燥させれば、19cmずつに切り分け、束にして出荷される。仕込みから完成まで2日間。「時間と手間がかかって休む暇もないですが、良い素麺を作るには焦らないことが大事です」 素麺を50gずつの束にする機械 見学に来た小学生が 一番食いつく場所だそう(明日香さん談) 耕治郎さんの素麺は“大自然”が隠し味。製麺所のある高原地区は標高700mに位置する山里。水源地の村と呼ばれる川上村の森が育む清らかな水に澄んだ空気、そして日中でも氷点下を記録するほどの冬の厳しい寒さがより良い素麺を生み出す。 大峯奥駈道も通る高原地区。雪が数十cm積もることも 最後は人の目と手で検品し箱に詰めていく 12月から3月にかけて作られる『高原乃糸』は、三輪素麺の中でも生産時期を限定し、厳しい検査を合格した生産者のみに認められる「緒環」に認定される。直径1mm未満の極細麺でありながら強いコシがあり、また吉野葛が混ざることでつるっとした喉ごしが特長だ。その人気は高く、昨年も細麺が夏頃に完売し、再販を待つ人もいたほど。 さばきの作業。麺どうしが引っ付かないようこまめに間を広げる 素麺は日持ちのする食品のため、お中元やお歳暮などの贈答品に使われることが多い。そのため口コミによって評判が広がり、今では全国にファンがいるという。妻の明日香さんは、「最近までネットで注文を受けていなかったこともあって、今でも電話やFAX、封書などで届くのですが、中には感謝の手紙もあって。特に冬は氷点下の中、外で仕事をするのでとても酷なんですが、こうした手紙や言葉を聞くと『冬頑張って良かったな』と思います」と話す。 「ただ作ったら終わりではなくお客さんに喜んでもらおうと思うことが良い素麺づくりに繋がる大事なことだと感じています。だからこそ家族や普段から気にかけてくれるお客さん、一緒に働く人、周りで支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れたらあかんなと日々思っています」と耕治郎さん。 奥吉野が育む自然の恵みをたっぷりと受けた極上の手延べ素麺。一度味わってみては。 Profile 貝谷 耕治郎 KAITANI KOJIRO 1972年、川上村生まれ。50歳。 高校生の時に通学のために村を離れ、卒業後は大阪の飲食店で勤務。22歳で実家に戻り、父の素麺づくりを学びながら貝谷製麺所の仕事を手伝う。現在は同製麺所の代表を務める。