若いお坊さんへのリレーインタビュー
「Boze数珠つなぎ」
#252
Profile
慈恩寺 阿弥陀堂 住職・書家
西野 寛山 師
にしの かんざん
1973年、兵庫県芦屋市生まれ。49歳
高野山高校、高野山大学、専修学院を卒業後、京王プラザホテル勤務。
3年後に大阪の勝遍寺に7年勤め、2007年阿弥陀堂住職に就任。
高野山本山布教師、書家。
書道研究温和会師範。
高野山高校、高野山大学、専修学院を卒業後、京王プラザホテル勤務。
3年後に大阪の勝遍寺に7年勤め、2007年阿弥陀堂住職に就任。
高野山本山布教師、書家。
書道研究温和会師範。
『東京ラブストーリー』で青春した僧侶です
最近トゥクトゥクを買ったことでも近所の話題になっております。桜井のこの村を盛り上げたいと常々考えていた私は、ある日テレビでトゥクトゥクを観て「これや!」と思い、次の日に連絡して1か月後にはここに納車されていました(笑)。でも公に人を乗せるには二種免許がいるということで、今は免許取得中です。
こんな風に割と直感で進んでいく私ですが、これは母の血を引き継いだものと思われます。私が僧侶になったのも、母親の直感で決まったようなものです。
実家は兵庫県の高砂市で、不動産会社を営む父の下、お寺とは無縁で育ちました。ある日、母と祖母が近所のお寺さんに誘われて高野山で1泊したのです。そこでたまたま高野山高校の話を聞き、願書までもらって帰った母に「ここに行き!」と突然言われました。
何でやねん! と思ったのですが、全寮制であることに惹かれて決意しました。なぜなら父がとても怖かったのと、母が勉強しろとうるさかったので、これで逃れられると思ったのです。
そのまま高野山大学に進み、1年の春休みの時、地元のアルバイト先のおじさんが高野山のお坊さんを紹介したろかと言うのです。私自身は気が進まなかったのですが、母がどこからか聞きつけてそのお坊さんに連絡し、2日後には大阪の勝遍寺に行っていました。そこから毎年春のお彼岸と夏のお盆を手伝うことになりました。
このお寺の住職が私の人生の師となるわけで、母の直感と行動力は恐ろしいです。そんなこんなでいつのまにか本当に僧侶になってしまいました。
でも大学、専修学院を卒業してすぐにはお寺に入らず、東京行きを決意しました。実は当時はやっていたテレビ番組『東京ラブストーリー』の主人公カンチに憧れて、どうしても東京に行ってカンチになりたかったのです。
両親には「僧侶として人の道を説くには社会勉強が必要や」と説得して3年間の約束で東京の京王プラザホテルにホテルマンとして勤めました。結果はご想像の通りカンチになれず、約束の3年で戻ってきました。
戻ってからまた勝遍寺に勤めることになりました。入寺して間もない頃、住職から「塔婆を書け」と言われました。何も思わず書いた私の数十枚の塔婆をじっと見た住職が、「こんな汚い字使われへん」と言って、いきなり全部ゴミ箱に捨てたのです。
あぜんとしましたが、何も言い返せません。書き直す住職の字の美しいこと。猛烈に頭にきて「絶対住職を超えたる」と決意し、その足で書道用具一式を買いに行き、その日から毎日練習を始めました。自分で書の先生を探して、いろんな先生を渡り歩きました。
それから毎年塔婆を書くのですが、住職からの褒め言葉は何もありません。7年たって、私が縁あってこちらの阿弥陀堂に入ることになりました。
勝遍寺で最後の塔婆書きを終えた時、住職がそれを手に取りじっと見て、「良く頑張ったな」とつぶやきました。「最初わざと捨てたんや、お前は必ずそれで伸びると思った」と言われた時は涙が止まりませんでした。
その後も住職はいざという時に、さりげない言葉で大切なことを教えてくださいます。こんな方に出会えて本当に幸せだったとつくづく思います。母恐るべしです。
いろんな書家の先生に就いて真剣にやってきた書道も免状をいただき、書家の端くれとして頑張っております。
さて、こちらのお寺に来て早16年。どうやって人を呼ぼうかと考えてかなり凝った御朱印を作りました。それが大ヒット。全国から人が来られました。ところがコロナでパタッと静かに。これはいかん、次は瞑想や! とまた瞑想を習いに先生を探し身につけました。
とにかく思い立ったらすぐ動きます。やはり母と似ています。間違えたら正せばいい。弘法大師さんも「如実知自身」と仰っています。間違えた時、それに気づいて自分を知ることで、正せば一本芯の通った人間になると。
そんな中で大切に続けているのが、亡くなられた方に戒名を付けるときにその意味を文章にして書でお渡しすることです。亡くなられた時、その方のことをご家族にいろいろ伺って、その方の人となりを書で表して差し上げるのです。
ことのほか皆さん喜んでくださって、額に入れて飾ったり、「俺の時も書いてや」と楽しみにされたり。死を迎えることは誰だってつらいですが、少しでも気持ちが和らいで、いい人生を送ろうとすることにつながるのかなと思っています。
今後もいろいろ仕掛けていきます。秋にはトゥクトゥクを走らせるので、皆さん遊びにきてくださいね。
聞き手:朝廣佳子