太陽を射落とそうとした親子 どケチで強欲「荒坂長者」

現在の荒坂峠。今はただの盛り上がった道路

《連載》
新日本妖怪紀行|第11回

太陽を射落とそうとした親子
どケチで強欲「荒坂長者」

「こぶとりじいさん」や「花咲かじいさん」「舌切り雀」など、欲ばりのおじいさんやおばあさんは昔話によく登場します。「欲ばり」は決して人から好かれることはありません。まだ「ケチ」と言われる人の方がましで、倹約家として他人に迷惑をかけないケチは、場合によっては尊敬されることもあります。

それでは、奈良に伝わる絶対に尊敬されない、どケチで欲ばりな親子の話をお届けしましょう。

どケチで有名「荒坂長者」

奈良の五條市、金剛山の南に荒坂峠があります。今はただの舗装された道路ですが、その昔、この峠に大きなお城のような家を建てて住んでいた男がいて「荒坂長者」と呼ばれていました。大地主で小作人もいっぱいいましたので、米はありあまりすぎるぐらいありました。
また、家の下には荒坂池があり、いつも白くにごっていて、村人は「長者が白い米をたくさんとぐので、水が白くにごるのだ」と言いました。でも実際は、長者の家の使用人など、ほとんどの人は白い米を食べることがなかったのです。
毎年、米を入れる倉を建て増しするぐらいなのに、米を食べないのです。そう、長者はものすごいケチだったのです。
欲ばりばあさんと言えば「舌切り雀」のこの人。大きなつづらを開けてびっくり月岡芳年画「新形三十六怪撰」より

欲に目がくらんだ親子の計画

ある年、日照りが続いて米が不作になりました。村人は食べるものがないので、長者に「米を貸してください」と頼みました。
しかし長者は「お前らに貸したら、わしらが食べるものがなくなる」と言って、押し返してしまうのです。あんなにいくつも倉いっぱいの米があるというのに。
でも村人たちも命にかかわるので必死です。子どもや赤ん坊を抱えて長者の家に毎日毎日「米を貸してくれ」とやってきます。長者は村人がうるさく言うので、何か良い方法はないかと息子に聞くと、息子は「村人は夜にはやってこないので、ずっと夜にしてしまえばいい」と言います。それでどうするかと言うと、日の出の太陽を弓矢で射落とすと言うのです。そうすれば朝がこなくなり、村人もこなくなるだろうという、とんでもないことを考えたのです。でも長者は「名案じゃ」と言って実行することにしました。この時点で欲に目がくらんだ頭のおかしい親子とわかりますよね。
荒坂峠のすぐ下にある池。ひょっとしてこれが荒坂池?

雷が落ちて木っ端みじんに

さて、次の日の朝、息子は峠の上の背の高い木に登り、太陽を待ちました。ほどなく夜が白々と明けはじめ、朝日が顔を出します。「それ!」とばかりに息子はヒュンと矢を放ちました。あたりは急にまっ暗になりましたので「しめた」と思いましたが、息子はうっかり足を踏みはずして、まっさかさまに落ちて死んでしまったのです。
そして、だんだん雲行きが怪しくなって、どしゃぶりの雨が降り出しました。ゴロゴロと、雷の大きな音も響きます。長者の家は峠の上の高い所にあってよく目立つので、雷にとっては格好の的というところでしょう。荒坂長者は、ようやく自分の過ちに気がついて太陽に許しを乞いましたが、もう遅すぎました。ガラガラと雷が長者の家めがけて落ちてきて、倉も家もあとかたもなく吹き飛ばしたのです。
そうです。とにかく欲ばりはいけません。お金についても「天下の回りもの」と言われるように、流れを止めちゃいけません。早いスピードでお金を回してこそ、多くの人が幸せになれるというものです。せき止めてもダムが決壊するように、いつかは爆発して流れ出してしまうでしょう。「宵越しの銭は持たねえ」という、江戸の職人の生き方も理想ですね。
池に祀ってある稲荷社と供養塔のようなもの。まさか荒坂長者のではないと思いますが……
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年6月に取材したものです
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