能楽発祥の地と伝統野菜 ちょっと変わった空からの贈り物

空から降ってきた翁の面を埋めたと言われる「面塚」

《連載》
新日本妖怪紀行|第6回

能楽発祥の地と伝統野菜
ちょっと変わった空からの贈り物

日本の伝統芸能の中で、幽霊や妖怪が主役となって跋扈ばっこするのは「」です。まさに舞台が幽玄の世界となり、そこにこの世のものではない者たちが出現します。
そのそれぞれの役を、舞台上で端的に表すのが能面です。誰が見てもどんな人か、どんな化け物かがすぐにわかり、その角度や演じ方で、面が笑ったり、泣いたりするように見えるのですから、すごい技術ですね。
また、演じる怨霊に演者が憑依ひょういされないために面を付ける、とも言われています。今回は、そんな能面および能楽の発祥にまつわる伝説です。

空から面とネギが降ってきた

能の創始者と言われる観阿弥清次かんあみきよつぐ結崎清次ゆうざききよつぐ)にまつわるお話です。
室町時代、大和の国(現在の奈良県)の猿楽の家に生まれた結崎清次は、そこに歌や舞の要素を取り入れ、新しい芸能を創出しました。それが後の能の観世流へとつながるのですが、これは彼がまだ若かった頃のことです。
京で御前演奏があり、そこに参加して評判を得ようと清次は、近くの糸井神社に日参して成功を祈りました。そんなある日、彼は不思議な夢を見ます。天からおきなの面と一束のネギが降ってくるのです。さっそく夢に出てきた場所へ行ってみると、一天にわかにかき曇り、実際に翁の面と一束のネギが降ってきたのです。
「これは天からの授かり物」と、その面をつけて京の御前で舞ったところ、大いにおほめの言葉を賜り大成功を収めました。
後に清次はその子、元清もときよとともに、観阿弥、世阿弥ぜあみとして、能楽を完成へと至らしめるのです。また、そのネギは同地で栽培されるようになり、今も「結崎ネブカ」の名で、大和の伝統野菜として特産品になっています。
観世流第二十四世宗家、観世左近の直筆による「観世発祥の地」の碑

観世発祥の地に面塚建立

翁の面とネギが降ってきた場所へ行ってみました。そこは京で成功を収めた翁の面を埋めたという伝説から「面塚」が建てられています。でも現地の案内板によると、元はそこから北へ10mの所にあったそうです。昭和30年の寺川の改修工事のため、現在の地に移されました。今は結崎面塚公園として整備されています。
面塚の周囲を囲む玉垣は、全国の観世流の能楽師などから寄進されたもので、東京、京都、大阪、堺、西宮、尼崎、高知、北海道など、その名前と地名を見ていくだけでも楽しいものがあります。また、面塚の後ろには昭和11年に観世流第二十四世宗家、観世左近の直筆による「観世発祥の地」の碑があり「面塚」の文字も、彼の筆によるものです。とにかく、空から降ってきたのがネギだったからよかったですね。もしこれが、大根やカボチャだったらケガ人が出たかも。
結崎面塚公園として整備され、木が森のように見える中に面塚があります

能楽師の顔に貼りついた能面

この夏に、金剛流の能楽師の方とお会いする機会がありまして「金剛流に呪いの面ってあるの?」って、冗談まじりに聞いてみると「ありますよ」と、マジな答えが返ってきました。
昔、不動明王の仏像の顔を切り取って作った面があって、それを付けた能楽師が、演じ終わって取ろうとしても取れず、無理矢理はがしたら、ベリッと肉が付いたままはがれ「肉付きの面」と呼ばれています……とのこと。「その面見たい!」と言うと「見れますよ」と、これまたマジな答え。東京の三井記念美術館に所蔵されていて、ときどき展示されているそうです。なんでも聞いてみるもんですね。
ちなみにこの面は、曾我兄弟の仇討を描く「調伏曾我ちょうぶくそが」の不動明王(のちシテ)の面です。
全国の観世流の能楽師などから寄進された玉垣。それぞれのお名前が記してあります
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年1月に取材したものです
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