11月16日(土)、DMG MORI やまと郡山城ホールにて講演「水野勝成・武将から名将へ ー城造り街造りの原点となった大和郡山ー」が開催されます。
柳澤吉里 郡山入部300年記念事業
令和6年(2024)は、柳澤吉里が甲斐国甲府から大和国郡山に転封となって300年の節目の年に当たります。公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会(柳沢文庫)では、柳澤吉里郡山入部300年記念を冠した様々な事業を展開。
令和6年(2024)は、柳澤吉里が甲斐国甲府から大和国郡山に転封となって300年の節目の年に当たります。公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会(柳沢文庫)では、柳澤吉里郡山入部300年記念を冠した様々な事業を展開。
柳澤家は、甲斐源氏(清和源氏義光・新羅三郎)の末裔で、なかでも甲斐武田家の流れを汲む一家で、甲斐国巨摩郡武川柳澤村(現在の山梨県北杜市武川町柳澤)を出自とします。
武田家滅亡後は徳川家に仕え、五代将軍徳川綱吉の信任を得た柳澤吉保は、宝永元年(1704)に出自の地である甲斐国を治める大名へと出世しました。
宝永6年(1709)に吉保が致仕し、嫡男柳澤吉里が家督を継ぎました。享保9年(1724)8代将軍徳川吉宗による幕府政策の一貫で、甲斐国の直轄領化に伴い吉里は大和国郡山藩主として移封され、同年8月13日に郡山に入部し、郡山藩主柳澤家初代となりました。
武田家滅亡後は徳川家に仕え、五代将軍徳川綱吉の信任を得た柳澤吉保は、宝永元年(1704)に出自の地である甲斐国を治める大名へと出世しました。
宝永6年(1709)に吉保が致仕し、嫡男柳澤吉里が家督を継ぎました。享保9年(1724)8代将軍徳川吉宗による幕府政策の一貫で、甲斐国の直轄領化に伴い吉里は大和国郡山藩主として移封され、同年8月13日に郡山に入部し、郡山藩主柳澤家初代となりました。
講師紹介
水野 勝之 氏(旧郡山藩主水野家当主)
1943年12月生まれ、まもなく81歳、水野宗家第20代当主。 技術コンサルタントの傍ら、歴史研究を趣味とする。
水野 勝之 氏(旧郡山藩主水野家当主)
1943年12月生まれ、まもなく81歳、水野宗家第20代当主。 技術コンサルタントの傍ら、歴史研究を趣味とする。
講演要旨
水野勝成は刈谷水野重忠の嫡男に生まれ、父との確執から勘当となった。十数年の流浪から刈谷藩主、関ヶ原、大坂冬夏の陣を経て大和郡山藩六万石の城主となった。数年という短い間の荒廃した城・街の修復事業はその後の福山城築城、城造りの基礎・原点であり、武将から名将へのターニングポイントであった。
申込締切
令和6年12月3日(火)必着
令和6年12月3日(火)必着
申込方法
柳沢文庫公式サイト 問い合わせフォームよりお申し込み下さい。
※お問い合わせ内容に、「12月14日歴史塾参加希望」と記入ください。
※メールアドレスが携帯のアドレスの場合、パソコンからのメールが受信できるようにしてください。