2021.11.4 鮎 【明日香村】橘寺 ●たちばなでら 撮影:にゃん氏 @reinyannyan_ikeike どんなお寺? 聖徳太子生誕の地といわれ、正式には「佛頭山上宮皇院菩提寺」と称する天台宗の寺院です。 正確な創建年代は不詳ですが、寺伝によると、聖徳太子が父・用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりとされ、聖徳太子建立七大寺の一つに数えられています。『日本書紀』では天武天皇9年(680)に「橘寺尼房失火、以焚十房(橘寺の尼房で失火し、十房を焼いた)」という記事がみられることから、この頃には成立していたと考えられています。 創建以降、皇族・貴族の庇護を受けて四天王寺式の伽藍が完成し、8世紀頃には66の堂塔坊舎が並び立つ大寺となりました。しかし、永正3年(1506)に多武峰の僧兵による焼き討ちに遭い全山焼失。幕末の元治元年(1864)に太子殿を本堂として再興し現在に至っています。 ※現在、観音堂は修復工事中により拝観できません(2021.12現在) 見どころは境内にある3つの “石” 礎石の規模から初層が一辺7m四方の巨大な塔が建っていたと考えられています! 一辺2.7mと巨大な塔礎石は、中央には直径約1mの孔が開いています。その周囲には3か所の突出部があり、添え木を入れるために設けられたものと考えられています。橘寺の五重塔は平安時代後期の久安4年(1148)に落雷で焼失し、鎌倉時代の文治年間(1185~1189)に三重塔として再建されましたが多武峰の焼き討ちで再び焼失。以降再建されずに礎石の一部のみが残されています。 明日香村には謎の石造物が沢山ありますが、その内の一つ「二面石」が境内にあります。二面石は名前の通り、二つの顔を持つ石造物で、正面に向かって右側が善人の顔、左側が悪人の顔と言われています。姿かたちの特徴から吉備姫王墓にある猿石と同じ場所から掘り出されたと考えられています。 男女の顔、微笑んでいる顔と首をかしげて不思議がっている顔など諸説あります… 境内の阿字池の前にある「三光石」とよばれる奇岩は、聖徳太子が勝鬘経(しょうまんきょう)を講讃した時に太子の冠が、日・月・星の三光を放ったとされる故事を表現したとされています。 これに驚いた推古天皇が聖徳太子に命じて寺を建てさせたという縁起も伝わります! 華やかな絵天井にも注目! 知っている画家さんの絵があるかも? 念仏写経研修道場として平成9年(1997)に再建された往生院。その格天井には現代画家らが競作した260点の花の天井画が飾られています。ごろんと寝転んで華やかな天井を眺めるもよし、写経道場なのでもちろん写経体験もできますよ!(1,500円 ※要申込)