11月21日[木]

〈山添村〉水に象る発想で日々技を磨く奈良県唯一の弽師/『弽工房 象水』井戸上 博一さん

弓道・弓術に必要不可欠な『弽(ゆがけ)』

『弽(ゆがけ)』は、弓道・弓術で弓を引くための道具。鹿革製の手袋のようなもので、右手にはめ弦を掛ける親指を保護するために使用されます。

弽を作る職人を「弽師」と呼びますが、奈良県山添村に住む井戸上博一さんもその一人。弽師になるまでは奈良県の高校で教鞭を取り、弓道部の監督も務めていました。

あれ、これなら自分でも作れるかも?

弽を作ろうと思い始めたのは44歳の頃。自身が購入した弽の相談に山形県の弓具店を訪れた時、井戸上さんは弽師から「弽の作り方は誰にも習っていない。全て自分で工夫したんだ」と教わります。

「初めは何とも思いませんでしたが、帰りの新幹線の中でその言葉を思い出して、“それなら自分でも作れるんじゃないか”と思いました。後日、使われていない弽を1つ分解してみて、これならできるぞと弽づくりを始めたんです」

工房の様子

教師から弽師へ

しかし、まず鹿革をどこで手に入れるのかがわかりません。今よりネットも発達していない時代、井戸上さんは電話帳を見ながら皮革を扱う工場へ片っ端から電話しました。

すると、奈良県宇陀市菟田野に弽にも使えるなめし革を扱う工場があることが判明。すぐに訪ね、革を数枚もらうことができました。

型紙に合わせて革を裁断。15のパーツを縫い合わせて弽にします

作り始めると早く、革の成型方法などを工場の人に教えてもらいながらわずか3か月で1つが完成しました。

「素人が作ったものとわかるものでしたが、ちゃんと弓が引けました」と井戸上さん。なんと昇段審査もその弽で合格しました。

「この後も2つ目、3つ目とうまくできて、これで弽師になれると思っていたら4つ目で失敗してしまいました(笑)」

弽づくりの構想から10年、教員勤続30年の節目を機に教師を早期退職。自宅前に工房を建て弽師としてのセカンドキャリアをスタートさせました。

変化を恐れない弽づくり

銘は『象水(しょうすい)』。孫子の『兵法』に記される「兵形象水(兵の形は水に象る)」から取られました。

「兵の動きは水の流れのように地理条件に合わせて形を変えなければならないという意味です。一つの形に収まるのではなくその時々に変化していかなければならないという私のポリシーに共通する言葉だと感じて決めました。」

弽づくりに使用する道具たち。針は革用ではなく、細くて短い木綿針を使います。その方が革への負担が少ないそう。

弽づくりも同様に日々改良を重ねます。弽は基本手縫いですが、以前、弽づくりを教えた弓具店が工業用ミシンを使って革を縫い合わせているのを見て、自身もミシンを購入。

これも電話帳を引っ張り出し、三宅町の工場から野球グローブなどに使われるミシンを買い付けました。

また諸弽(右手全てを覆う弽)の使用時に革がだぶつくという壁に当たった時は、香川県のてぶくろ資料館を訪れ、西洋のレザー手袋をヒントに改良し見事に解決!

「僕が自慢できるとしたら妥協しなかったことですかね。弽は売り手市場で市販のものも多く流通していますが、やっぱり使い手に合わせて作るのが一番いいです」

「次に作るものは前よりも良いものにと、どんどん改良して、使いやすく性能のいいものにしていかないと。どこかで妥協してしまったら職人としては終わりです」

一の腰を成型するための木型。手彫りなので弽師によって形に個性が出る

今や人気の弽師に

こうして作られた弽は性能の高さが弓引きの中で評価されました。口コミで工房に足を運ぶ人がだんだんと増え、ピーク時には2年の待ちができたほど。

高校生でも手に入れやすい破格とも言える価格も人気に火をつけることとなり、工房を開いてから現在まで、2000個以上の弽を1人で作り上げています。

しかし一方で深刻な原料不足が問題に。原料には中国のキョンという鹿の皮を国内でなめしたものが使われますが、数年前から中国から皮が入らない状況になっています。

原料となるキョン皮

「4年前に大量に仕入れていたので現在は作れていますが、無くなればキョン皮での弽づくりは終わりになります。代替になるような皮革も試していますがなかなか難しいですね」

水に象るように日々技を磨く弽師の目前に新たな変化の時が訪れています。

Profile

井戸上 博一

IDOUE HIROKAZU

1952年、山添村生まれ。70歳。

鈴鹿高専で弓道を始める。金沢大学、広島大学大学院を修了後、数学教員として奈良県立山辺高校に赴任。

その後畝傍高校、北大和高校(現・奈良北高校)両校で計21年間弓道部の監督を務め、56歳で早期退職。2009年から弽工房「象水」を営む。

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