〈下市町〉奈良吉野の伝統工芸「三宝」の技を守り伝える/『吉谷木工所』吉谷侑輝さん 2023.12.15 鮎 神棚で見かける“アレ”は下市町生まれ 見たことあるけど、名前が出てこない。そういうことってありますよね。写真の道具もその一つ。神社や神棚で見るけれど名前を知っている人は多くありません。 穴は「宝珠」の形 この道具の名前は「三宝(三方)」というもの。折敷(おしき)という盆の下に胴(台座)つく形で、胴の三方向に穴が開くことからこの名が付いたと言われています。 主に神様へのお供え物を乗せる台に使われ、お正月の鏡餅や中秋の月見団子を乗せたり、神棚の神具として用いられるのが一般的です。 三宝は南北朝時代に、吉野山に南朝を開いた後醍醐天皇へ献上する品を乗せる台として、吉野山の麓、奈良県下市町で誕生しました。 中世以降、森林資源の市場町として栄えた下市町は、現在も林業や木工業が盛んに行われ、中でも杉箸と三宝は町を代表する伝統産業になっています。 今回は同町新住で1910年の創業以来、三宝づくりを続けてきた『吉谷木工所』の吉谷侑輝さんにお話を伺いました。 日本遺産にも認定された伝統の「挽曲げ技術」 三宝最大の魅力は『挽曲げ』という加工技術。折敷の縁と胴に使われる技術で、一枚の板を四角く曲げて作られています。 秋田県の「曲げわっぱ」で知られる木材の曲げ技術と違う点はスリット(溝)。板にスリットを入れて折り目とし、水につけることで曲げています。 スリットの数や厚み、彫る深さなどは各木工所で異なります。この差はスリットを彫る刃を特注していることにもよるそうで、それぞれが企業秘密。まさに心臓なんですね。 またこの「挽曲げ」は「下市の三宝制作技術」として日本遺産にも登録されています。 レトロな機械と手仕事が生む、SDGsな木工品 材料となるのは吉野ヒノキの背板。ヒノキは良い香りに加え、艶や粘り(折れにくさ)があるのが特徴で曲げ加工をするのに適した木材なんだとか。 また背板とは、丸太を柱に加工する際に出る端材を板にしたもの。限りある資源を有効活用する先人の知恵が詰まっています。 「よく三宝を作るためだけに木を伐採していると勘違いされるのですが、むしろその逆で、資源を無駄にしないSDGsな製品なんです」 シンプルな形の三宝ですが、実は1つ作るのに16もの機械を使用しています。機械は40年~50年ほど前のレトロなものが多く、現在では部品もないような代物も。 「古くても機械があるだけで1日に作れる数は大きく違ってきます。切ったり削ったり、昔はこれを手作業でやっていたと思うとすごいですよね」 機械を使うといっても全自動ではなく、あくまで人が扱うもの。「挽曲げはもちろん、ほかの工程や検品も含めて最後は人の目や手で確かめて初めて三宝が出来上がります」 “新具”で“神具”の未来を繋ぐ 古くから受け継がれてきた三宝ですが、高度経済成長の頃から生活様式の欧化が進むにつれて需要が激減しています。下市に30軒ほどあった三方屋も今では4軒に。 「全国シェア8割といっても三宝を専門に扱う木工所が全国に5軒ほどしかない内の4軒が下市町にあるだけで、かつてのような盛り上がりがないのが現状です」 三宝以外の商品は県内の道の駅(一部)などで取り扱われています。三宝はお近くの量販店などにも卸されていますよ! そこで吉谷さんが着手したのが『挽曲げ』を生かした新しい商品の開発。“神具”から“新具”へを合言葉に、マルチボックスやトングなどを制作しました。 「三宝を知らない人が増えてきている中、挽曲げの技をより身近に感じてもらいたい。そういう思いから生活雑貨として使える商品の開発を進めてきました」 トングならぬ『TONGI(トン木)』 八角形や六角形など、多角形状に木を曲げられるのはスリットで折り目をつける「挽曲げ」だからなせる技。 このアイデアは「にっぽんの宝物2020-21」全国大会で工芸・雑貨部門のグランプリを受賞するなど、全国各地から注目を集めています。 「一方で、三宝とは溝の位置や数も異なり、職人さんでも新商品の製造をすぐにできるわけではありません。なので今は僕ひとりで一から計算して作り続けています。今後は人手の確保も大事になってきますね」 しかし、ここがゴールではありません。「生活雑貨を入り口にして、最終的には三宝も手に取ってもらえるようにしたい」と吉谷さん。 「三宝も平たく言えば『お盆』なのでお供物以外にも、アクセサリーやスマホ、お菓子置きなんかに使っても全然構いません。格式高い神具という固定観念を取っ払って、一種の“インテリアオブジェ”として、三宝に触れていただければ」 500年の歴史を紡ぐ『三宝』と、それを支える伝統技術『挽曲げ』の魅力をぜひ一度体感してみてください。 Profile 吉谷 侑輝 YOSHITANI YUUKI 1989年、吉谷木工所の6代目として下市町に生まれる。34歳。大学卒業後、サラリーマンとして働く中で父・良浩さんの要請で家業を継ぐことに。現在は三方を作り続けながら、伝統技法『挽曲げ』を使った生活雑貨の製造と商品開発を行っている。