2021.5.25 staff 【橿原市】丸山古墳(畝傍陵墓参考地) ●まるやまこふん(うねびりょうぼさんこうち) 大きすぎて円墳と思われていた奈良県最大・最後の前方後円墳 丸山古墳、通称、見瀬丸山古墳、五条野丸山古墳とも呼称される。全長318mの前方後円墳。後円部の一部が畝傍陵墓参考地として宮内庁の管轄化にある。全国で6番目、奈良県内では最大の大きさであり、古墳時代後期に限れば飛びぬけた規模を誇る。埋葬施設も日本最大の横穴式石室をもつ。この古墳は、江戸時代には天武・持統天皇陵として比定されていたが、幕末期には、野口王墓古墳(現天武・持統天皇陵)と比定は混沌としていた。そののち明治4年(1870)10月に、天武・持統天皇陵と比定。しかし、明治13年(1879)に京都栂尾の高山寺で、野口王墓古墳の盗掘された石室の様子を記した『阿不幾乃(あおきの)山陵記』が発見されたことを契機に、明治14年(1880)に野口王墓古墳を天武・持統天皇陵とし、丸山古墳は管理を解かれた。そののち、明治30年に「陵墓伝説地」、昭和初期には「陵墓参考地」とされた。現在では第29代 欽明天皇とその妃・堅塩媛の真陵ではないかと言われている。 大きすぎるがゆえに円墳と認識されていたので「丸山」という名前に。前方部や周濠は気づかれぬまま農地となっていました… by はにわ