2021.10.18 鮎 【明日香村】平田梅山古墳(欽明天皇陵) ●ひらたうめやまこふん(きんめいてんのうりょう) 仏教伝来時の大王が眠る御陵 全長約140mの前方後円墳で、明日香村最大の古墳です。第29代欽明天皇とその妻・堅塩媛の陵墓「檜隈坂合陵」と伝わります。『日本書紀』の「砂礫を以って檜隈陵の上に置く」という記述にあるように非常に多くの葺石があることで知られています。周濠は幕末の修復(文久の修陵)時に改築されたもので、元々は農地だったといいます。全国で6番目、奈良県最大の五条野丸山古墳(畝傍陵墓参考地)にも2基の家形石棺があり、築造時期も6世紀後半と欽明天皇の崩御時期と合うことから、こちらを真陵とし、現在の陵墓は堅塩媛の父・蘇我稲目の墓とする学説もあります。2人の娘である推古天皇は母を追葬した日に軽(橿原市大軽町)の路上で儀式を行ったと『日本書紀』に記されていますが、どちらが本当の欽明天皇陵なのかは未だ謎のままです。 欽明天皇〈510頃~571〉 第29代天皇で531年~571年の40年間在位しました。第26代継体天皇と手白香皇女(仁賢皇女)の間に生まれ、安閑天皇(第27代)・宣化天皇(第28代)とは異母兄弟にあたります。治世中は538年(あるいは552年)に百済から仏教が渡来。562年には新羅の侵略によって任那日本府が滅亡するなど外交での大きな変動がありました。内政では蘇我氏と物部氏の対立、大伴金村の失脚などが起こりました。また蘇我稲目の娘・堅塩媛を皇后に迎えると、敏達(第30代)・用明(第31代)・崇峻(第32代)・推古(第33代)の4帝の父となり、蘇我氏台頭のきっかけとなった人物でした。