2021.5.12 鮎 【奈良市】芳徳禅寺 ●ほうとくぜんじ 剣豪・柳生一族の菩提寺 寛永15年(1638)、柳生藩主・柳生宗矩の開基、宗矩と親交のあった沢庵宗彭の開山で創建された寺院。宗矩の父・柳生宗厳(石舟斎)の菩提を弔うため、柳生城があったとされる場所に建立されました。創建に伴い、もともと中宮寺(奈良市柳生下町)にあった柳生家の墓地を改葬し、本堂裏の墓所(市文)には代々の墓石80基あまりが並んでいます。 石舟斎塁城(柳生城)跡 柳生家墓所附列堂和尚墓所(市指定文) 宗矩の死後は宗矩の子である列堂義仙(れつどうぎせん/幼名・六丸)が第一世住持となりました。正保4年(1647)には宗矩が兵法指南役を務めた第3代将軍・徳川家光より、宗矩の遺領から200石が寺領として分与されました。宝永8年(1711)に火災により全焼しましたが、正徳4年(1714)に再建。現在の本堂はその再建時のものと考えられ、奈良市指定文化財に指定されています。明治4年(1871)の廃藩置県後は山門や梵鐘などが売却され、明治末期には無住の寺院となりましたが大正11年(1922)に、柳生家の末裔で台湾銀行頭取の柳生一義の弟・柳生基夫が資金を追贈。大正15年(1926)に赴任した橋本定芳副住職(のち住職)によって再興されました。 本堂(方丈) 紅葉の境内 本堂には本尊・釈迦三尊像のほか、木造但馬守宗矩坐像や木造沢庵和尚坐像が安置されています。宗矩坐像は宗矩の7回忌にあたる慶安4年(1651)に柳生宗冬が京都の七条仏師・康看に造らせたもので、沢庵和尚坐像は明暦3年(1657)に列堂義仙が同じく七条仏師の康春に造らせたものと伝わります。この他、『月乃抄』(伝・柳生三厳筆)などの寺宝や柳生氏に関する資料は併設された資料館に収蔵・展示されています。 木造但馬守宗矩坐像 資料館