〈大和郡山市〉甲府から奈良へ-お殿様と一緒にやってきた柳澤家の菩提寺『永慶寺』 2023.9.23 鮎 郡山藩主・柳澤家の菩提寺 永慶寺は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の側用人(側近)として仕えた柳澤吉保が、1704年に甲斐国岩窪村(現・山梨県甲府市)に創建したことに始まる黄檗宗寺院です。 当初は「霊台寺」という寺号でしたが、1710年に「永慶寺」に改称。1724年に吉保の子・吉里が大和郡山へ転封となると同時に現在地へ移転しました。以降、柳澤家の菩提寺として一族の菩提を弔っています。 本堂の左手奥にあるのが柳澤家の仏間『香厳殿』です。こちらには柳澤吉保公とその正室・定子の木造坐像が安置されています。 香厳殿の手前には高浜虚子の「秋雨や 車なければ あるくまで」の句碑がありました。1917年に虚子が永慶寺で詠んだ句だそうですが、草書?が読めない…(笑) そして山門となっているこちらの黒門は、豊臣秀長が郡山城主であった時代に城の「南御門」として建てられたものを幕末に移築したと伝わっています。 その姿はきわめて素朴ですが、安土桃山時代の城門の建築様式を伝えており、当時の郡山城の遺構としては唯一の建造物となっています。 境内南側には弁天堂もあり、竜宮城のような、色鮮やかな小堂と楼門が目を引きますね! 弁天堂 弁天門