〈十津川村〉100年以上残る奈良の秘境の景色を守り継ぐ/『瀞ホテル』東 達也さん 2024.1.21 鮎 三県境の断崖に建つ大正開業の元旅館 奈良県・三重県・和歌山県の三県境にまたがる国の特別名勝・天然記念物『瀞八丁(どろはっちょう)』。 北山川が流れが緩やかになる「瀞場(とろば)」の両岸に、高さ50mにも及ぶ断崖、巨石、奇岩、洞窟が1㎞以上続く日本屈指の景勝地です。 その渓谷の中心で1917年の開業したのが『瀞ホテル』。開業当時は『あづまや』の名で山で切り出した木材を筏にして下流へ運ぶ筏師の宿として営業していました。 昭和初期に瀞峡が吉野熊野国立公園に指定されると景勝地の宿としても利用されました。当時は同館の他にも宿屋が多数存在し宿泊地としてにぎわっていたそうです。 しかし戦後、ダム建設やトラック輸送の普及で筏師が減るとともに多くの宿屋が閉業。現在残る建物は瀞ホテルただ一軒のみとなっています。 建物は築100年以上(1920年築)、峡谷の断崖絶壁に組まれた石垣に建つ木造の多層建築で奈良県指定文化財に指定されています。 そんな歴史ある瀞ホテルですが、旅館としては2004年に廃業。現在は4代目の東達也さんが妻の藍さんと共に建物を継承し、喫茶・食堂を営んでいます。 分岐点となった父の死と水害 廃業のきっかけは父・悦生さんの逝去。「父からは『継いでほしい』と言われることはなかったですが、生まれ育った家だし、長男だから自分が継ぐんだろうなという意識はありました」と話す東さん。 しかし亡くなった当時は大学を卒業して1~2か月ほど。社会経験が全くなく継ぐには力不足と判断し一時休館を決めます。 休館中はアパレル業界に身を置きましたが、その間も和歌山県で暮らす母と共に定期的に瀞ホテルに戻り、のちの営業再開に向けて荷物の整理や掃除などを行ってました。 4代目の東 達也さん しかし2011年9月、台風12号による紀伊大水害が発生。最大9500トンにも及ぶダムの放水によって北山川は増水し、かつてないほどに水位が上昇したそう。 この増水で水面から10数mの高さにあった別棟が流出。風呂場や調理場を失ったことで旅館営業が困難となり廃業に至りました。 ケヤキ(右)の枝葉のない辺りまで増水したという 別棟が流された後。タイル張りのお風呂が残されている。 一方で幼少期に暮らし見てきた、100年前から変わらない瀞八丁と瀞ホテルが織りなす景色を残したい。瀞の魅力を多くの人に知ってもらいたい。という思いは強くなります。 こうした思いから、東さんは4代目として瀞ホテルを継承することに。水害で傷んだ建物を改修し、2013年に喫茶という形で営業を再開しました。 食事しながら秘境を楽しむ 喫茶は、1階の居住スペースだった場所に客席とキッチンを設置。客席は全て窓側に向かっていて、目の前を流れる瀞八丁の景観を眺めながら食事が楽しめます。 名物はハヤシライス(予約制)。藍さんの母が作っていたレシピにアレンジを加えたもので、やさしい味わいながらコクがあり、大人から子どもまで大人気のメニュー! 雑貨も取り扱っていて、大正・昭和時代に描かれた絵ハガキの復刻版をはじめ、奈良・三重・和歌山にゆかりのある作家が手掛ける作品など、三県境に位置する瀞ホテルならではのラインナップが揃います。 生まれ変わった瀞ホテルには関西圏・東海圏を中心に全国から多くの訪問客があります。秘境のレトロカフェとして人気を博す一方、ホテル時代に宿泊したという人や、数十年ぶりに訪ねたという人も。その歴史の長さを伝えてくれますね。 独特な色使いのレトロポストカード 変わらないことが大事 東さんが大事にしているのは『変えない』こと。筏師の宿の時代から現在に至るまで、ホテルを取り巻く環境は大きく変わってきましたが、断崖絶壁の峡谷を北山川が流れ、その崖の上に瀞ホテルが建つ景観は100年以上前から変わらないまま。 「『子どもの頃に来た』『新婚旅行で訪れた』というお客さんが、子どもや孫を連れてきて、当時のことを話してくれます。その子どもや孫が大きくなった時に、同じように家族や大切な人を連れてきてもらえるよう、変わらずあり続けたいというのが僕の思いです」 営業再開から10年。みんなで守り継ぐ瀞の絶景 「これから先、再び業態や内容が変わったり、身内に継承者がいなくなったりするかもしれない。ですが、この景色と建物が変わらず残り続ければどんな形でも誰が継いでもいいと思っています。そういう意味では本館が奈良県指定文化財になったのは一つの節目でしたね」と東さん。 2023年6月で喫茶開業から10周年を迎えた瀞ホテル。2021年には2階の元客室を改装して1日2組限定で部屋貸しを開始。昨年からはSUPやカヌーなどの体験も行っています。 100年前の人々も見ていた景色を眺めながら、ゆったりとした休日を過ごしてみては。 Profile 東 達也 HIGASHI TATSUYA 1981年、十津川村生まれ。大学卒業後はアパレルに勤め、2011年の紀伊水害をきっかけに父・悦生氏の逝去後、廃業していた「瀞ホテル」を継承。四代目として喫茶営業を続けながら、100年以上変わらない瀞峡の景色を守り続ける