2021.10.20 鮎 【桜井市】平等寺 ●びょうどうじ どんなお寺? 伝承によると、聖徳太子が開創、慶円上人の中興と伝わる寺院。『大三輪町史』では空海開基の説も考えられています。鎌倉時代末期頃から大神神社の別当寺の地位に立ち、「三輪別所」と称されました。かつては東西500m、南北330mの境内を持ち、室町時代の絵図では、大神神社の南に慶円上人開山堂のほか、行者堂・御影堂・本堂・一切経堂など七堂伽藍のほかに12の坊舎があったことがわかります。現在の平等寺は昭和52年(1977)に曹洞宗寺院として再興されたもので、旧本堂は現在地の300m東にあったとされています。 島津家ゆかりの寺院 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗れた島津義弘軍は、名張から京都・大坂・吉野に逃げ、義弘を含む本部隊13名が平等寺に落ちのびました。義弘らは70日間逗留し、住職から銀一貫目を借り薩摩に帰還しました。それから後の島津家は平等寺を大事にし、江戸時代の中頃には三間四面屋根紋付の護摩堂を一寄進で建立し、幕末までの約300年間、毎年鹿児島米40石(153俵)とご祈祷料銀5枚を奉納しました。