11月22日[金]
能人形 牛若・熊坂/森川杜園 明治時代(19世紀)東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives

森川杜園は幕末変革期の奈良人形中興の祖ながら、絵画・狂言・奈良人形と“芸三職”を極めた人物
現在の奈良人形が高い芸術性を評価され「奈良の伝統工芸」とされる礎を築きました。

■奈良人形とは…?

奈良人形は木彫りの彩色人形で、素材を生かし、一振の小刀で荒彫りに形をまとめてあるところから「奈良の一刀彫」とも呼ばれます。江戸初期、春日大社の祭具の島台や田楽法師の笛役の笠などにつけた高砂や猩々(しょうじょう)の人形になぞらえて岡野松壽(しょうじゅ)が作り始めたもの。

幕末から明治にかけて杜園が鹿などを題材にした作品を発表。
量感や動きのある作風でその芸術性を高めました。

■幼少から学業に励み、絵を友とする

米穀商を営み紀州の銀方御用を務めるかたわら公事宿も営む父・喜右衛門の長男として生まれ、幼名を友吉といいました。寺子屋でも学業熱心、中でも絵を描くことに執心していたといいます。13歳のとき内藤其淵に師事、16歳で奈良奉行に御用絵師を任じられます。

■18歳で彫刻の道へ

蒔絵師・柴田是真から彫刻の道を勧められ、奈良彫で身を立てることを決意。
奈良人形の名手・岡野松壽の作品を参考に刀法を研究、対象をつぶさに観察する姿勢と手先の器用さから、写実性と重厚感、渋みがある作品を次々と生んでいきます。

時代は、尊王攘夷思想・国学の精神が強いときで、杜園は天誅組に参画した伴林光平の門下に加わり、歌道を好み、屋号を「尚古亭」とするなど「古」や春日神を大事にした芸術活動に励みます。

■変革期に信念を貫き芸に生きる

36歳のとき、春日有職奈良人形師となります。
彼は能人形の「高砂」、舞楽「蘭陵王」「納曽利」など、数々の名作を彫り上げ、狂言師としても大成していた杜園ならではの“動”が作品をより揺るがないものにしたといえます。
鹿の彫刻が一番多く、緻密な観察と写生に時間をかけ、骨格から肉付き、毛並みに至るまで写実に徹しました。

福の神/森川杜園 明治22年(1889)個人蔵 ※前期(9/23~10/17)のみ
御生玉伏白鹿座像/森川杜園 慶応2年(1866)春日大社蔵

明治10年(1877)頃から古代彫刻工芸の模造を始めます。正倉院御物、東大寺南大門の狛犬の模刻など、青錆や金箔の輝きまで再現する緻密さに真模の判別も難しかったとか。絵画・狂言・奈良人形を統合したまさに「芸三職」の生涯でした。

観音菩薩立像(九面観音像)(模造)/森川杜園 明治25年(1892)東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives

■2020~21年は生誕200周年

文政3年(1820)に生まれた杜園は、2020年で生誕200年を迎えました。
これを記念して奈良県立美術館では2021年9月23日(木・祝)から11月14日(日)まで特別展「生誕200周年記念 森川杜園展」を開催しています。

軽妙洒脱な奈良人形や独自の境地を拓いた鹿彫、そして超絶技巧が発揮された名宝の模造作品など、杜園の代表作およそ200点が展示されます!

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