2021.10.8 鮎 【奈良市】普光院 ●ふこういん しころ屋根の本堂が特徴的! どんなお寺? 近江国小谷城主・浅井長政の遺子で、仏門に入っていた慶誉了把が開基といわれる浄土宗の寺院。元は長福寺という名前でしたが享保年間(1716~1736)に普光院に改めたとされます。ご住職によると、本堂は慶長5年(1600)頃の建立で多少の増築は見られるものの、ほぼ創建当時のまま残っているそう。二重に重なる寄棟屋根は「錣屋根(しころやね)」と呼ばれるもの。兜の錣(左右や後ろに垂れて首を覆っている部分)のように見えることからその名が付いたそうです。康永4年(1345)の墨書がある本尊の木造地蔵菩薩立像(南北朝時代、県有文)は鎌倉時代の仏師・運慶一派の様式を踏襲しているのが特徴です。 奈良人形の名士が眠る 砂岩で作られた墓石は劣化が進んでひび割れてきています… 境内の墓地には幕末から明治にかけて活躍した奈良人形の名士・森川杜園の墓があります。風化によって読み取りづらくなっていますが「罷出て あらぬ手業を 世に残し さも恥しと 身は隠れつる」という辞世の句も彫られています。しかし、杜園と普光院には元々ゆかりがあったわけではなく詳しい記述もないため、なぜこの場所に墓が建てられたのかわかっていないそうです。