2021.4.20 ib 【五條市】民俗資料館(五條代官所跡) 天誅組によって焼かれた五條代官所が移設・再建された長屋門 金剛山と8620形(通称ハチロク)にちなんで「金剛ハロー号」と名付けられた列車 文久3年(1863)、天誅組によって焼かれた五條代官所(現・五條市役所旧庁舎)が元治元年(1864)に移設・再建された長屋門。代官所は明治維新後、五條県庁に引き継がれ、一時警察大屯所などに利用されていましたが、明治10年(1877)に五條区裁判所となりました。裁判所改築に伴い長屋門と門前の広場を史跡公園として整備しましたが老朽化により一時閉館。天誅組義挙140年を迎えた平成15年(2003)に再整備され現在に至ります。資料館では天誅組の決起から終焉までの流れ、ゆかりの地の資料などが展示されています。御朱印やコースター、Tシャツなどの天誅組グッズもたくさん! 天誅組三総裁 志士の印 300円 木製コースター 200円 天誅組の変とは 文久3年(1863)8月17日に吉村寅太郎をはじめとする尊王攘夷派の志士が公卿・中山忠光を主将として大和国で決起したクーデター。京で起こった八月十八日の政変で逆賊に転じ、幕府軍の追討によって約1か月で壊滅しました。尊王攘夷派による最初の武装蜂起といわれ、明治維新後は「大和義挙」などと称されました。現在では「維新のさきがけ」ともいわれます。五條市内では代官所の焼き討ちが行われ、櫻井寺や天辻峠などに本陣が置かれました。 天誅組の変以前の五條代官所跡(五條市旧庁舎)