〈川上村〉国道沿いの謎の石碑は室町時代の古戦場跡だった!?『御首載石跡』 2024.12.9 鮎 再興目指した「後南朝」最後の古戦場 国道169号沿いにポツンと建つ石碑群。その一つ『御首載石跡』碑は、名前の通り首を載せたという伝説が残る石があった場所を顕彰する石碑です。 首の主は『自天王』という人物。詳しくは分かっていませんが、南朝最後の天皇、第99代後亀山天皇のひ孫で、南北朝合一後に南朝復興を目指した「後南朝」の第2代といわれています。 後南朝の勢力は嘉吉3年(1443)の禁闕の変で第102代後花園天皇の内裏を襲撃。首謀者を含めた主たる将は討死・処刑されてしまいますが三種の神器のうちの神璽を奪い去ります。 それから14年後の長禄元年(1457)、嘉吉の乱(1441年)で取り潰された赤松家の遺臣が赤松家の再興を目指し、虚言を弄して後南朝の宮に接近し襲撃。神璽を奪還します。 自天王(尊秀王)の墓(金剛寺/川上村神之谷) この時に自天王は殺害され、神璽とともに首を持っていかれたのですが、北塩谷(川上村)に住む弓の名手・大西助五郎が一党を待ち伏せ、頭の中村貞友を討伐。 再び奪い返した神璽と自天王の首を吉野川のほとりにある大岩に安置し冥福を祈ったと言います。この大岩が『御首載石』なのです。 残念ながら御首載石は伊勢湾台風(1959年)で流出。代わりにこの石碑が建てられましたが、大滝ダムの建設に伴い現在の位置に移設。実際の場所は現在ダムの底に…。 後南朝はかなりマイナーですが、これも大事な吉野の歴史。国道沿いでアクセス良好なので、ドライブがてらぜひ、後南朝最後の古戦場・川上村寺尾地区へ♪