〈三宅町〉日本で2番目に小さい町で100年続く野球グラブ作り/『𠮷川清商店』 2023.12.20 鮎 日本で2番目に小さい町に続く伝統産業 面積4.06㎢、奈良盆地の中央に位置する奈良県三宅町は全国で2番目に小さい町。この町では1921年から100年以上野球用グラブの生産が続けられています。 『三宅町史』によると坂下徳治郎が皮革関連の技術を身につけるため、大阪に住む義兄の見習いになった際に、野球グラブの存在を認知。グラブを解体し、仲間と製法の研究を重ねたのち、地元へ帰って生産が始められました。 三宅産グラブの栄枯盛衰 三宅町のグラブ産業が全盛期を迎えたのは戦後のこと。野球人口が増え需要が拡大すると、1956年には米国メーカーから注文を受け、米国向けの輸出を開始。これが急成長を後押しすることになります。 最盛期には三宅産グラブの輸出量は587万個(1970年)にものぼり、製造業者は数軒から100軒ほどに、また全国から労働者も集まった。国内シェアも同町だけで7割近くを占め、近隣の市町も含めると奈良県内で9割を誇ったそう。 近鉄但馬駅近くに工房を構える𠮷川清商店も1952年から70年続く老舗のグラブ工房。2代目の𠮷川雅彦さんは「当時は作れば売れる時代。受注に追われて早朝から深夜までフル稼働で多くの職人が町を行き交っていました。但馬駅も通勤する職人で溢れかえっていましたよ」と話します。 近鉄線から見えるようにと付けられた看板 しかし、70年代に入ると苦境に陥ります。1ドル360円の固定相場制が終わったことで米国の輸入先が価格競争力で勝る台湾や韓国に取って代わられるように。 国内大手のメーカーも主要な生産拠点を海外へと移したことで受注が減少。三宅町でも後継者不足や高齢化によって廃業する工場が増え、現在では20軒ほどまで減少しています。 雅彦さんも「継いでもらおうとは思っていなかった」という苦しい状況でしたが、10年前に長男の誉将さん、その翌年に次男の正敏さんが会社員を退職して戻ってきました。 いずれも長年、高品質のグラブを作ってきた歴史ある家業を引き継ぎたい、自分の代で終わらせたくないという思いからでした。 𠮷川清商店のグラブ作り 正敏さんは2022年に独立し、現在は𠮷川家3人と県外からグローブ職人を目指して入社した久保木風雅さん(1年目)と皆藤純さん(3年目)、2人の若手職人を合わせた5人が自宅隣に設けられた小さな工房でグラブ作りに勤しんでいます。 使われる牛革は主に北米産の「ステア」が使われます。野球グラブにはほかにも「キップ」というオランダの仔牛や国産牛の革が使われることもあるそう。 裁断機で革に金型を押し当てて裁断し、機械で厚みを均等に整えて、ミシンと手で30個にもなるパーツを一つ一つ組み合わせていきます。 主な機械は裁断機とミシンと厚みを整える機械の3種類。あとは全て手作業で仕上げていきます。「機械も結局は全部自分の手で動かすものばかり。全自動ではグラブはできない」と雅彦さん。職人の手仕事だからなせる技ですね。 ただ機械も数十年前のものが多く、整備をしてもらうにも部品がないこともあるんだとか。「ピンセット一つにしても、作ってもらっていた金物屋さんが畳まれてもう新調できないんですよ」と雅彦さん。 『グラブの町』で三宅町に活気を 大量生産の時代から近年は使い手の要望に応えたオーダーグラブが浸透してきたこともあり、𠮷川清商店でもOEM生産を続けつつ、2015年から独自ブランド『bro’s(ブロズ)』も手掛けています。 耐久性などを考慮して硬めに仕上げられたグラブには、日々の練習や試合の中で使い込むほどに手に馴染む、自分だけのグラブに育ててほしいという思いも込められています。 三宅町では「bro’s」が立ち上がった同年度からふるさと納税の返礼品にグラブを選定し、2021年にはグラブ製造100周年の記念イベントも行われた。 「100周年事業もありましたが、まだまだ盛り上がりが足りないのが現状です。三宅は産業の町でグラブ以外にもいろんな製造業者があります。他の産業とも一緒に町を盛り上げていけたらと思っているので、僕たちは引き続き『グラブの町』として三宅町をPRできれば」と誉将さん。 WBCで日本が世界一に輝き野球ブームが再燃する今だからこそ、野球をしている人もそうでない人も、日本野球界を支えてきた100年の技術を手に取ってみてはいががでしょうか 𠮷川清商店 0745-56-2427 奈良県磯城郡三宅町但馬395-1 9:00~18:00 日曜・祝日 yoshikawa_glove bros_kiyoshi 𠮷川清商店 https://yk-baseballglove.jp/ Profile 𠮷川 雅彦・誉将 YOSHIKAWA MASAHIKO・TAKAMASA 𠮷川清商店は1952年の創業。現在は2代目・雅彦さんが代表を務め、2013年から長男である3代目・誉将さんらと共に野球用グラブを生産する。2015年からはオリジナルブランド『bro’s』も手掛ける。