【ならまち】元興寺〈小塔院跡〉
●がんごうじ〈しょうとういんあと〉
国宝が安置されていたと伝わる 西の塔跡
元興寺は、明日香村にあった法興寺(現・飛鳥寺(安居院))が平城京遷都にともなって移設されたお寺。もとは1つの境内地でしたが、火災や一揆などにより焼失・破壊が繰り返され、現在は極楽坊・塔跡・小塔院の3つのお寺に分かれています。
小塔院は元興寺金堂の南西に位置し、東大塔院(現・塔跡)に対し西小塔院、もしくは吉祥堂と呼ばれていました。称徳天皇が百万塔を納めるために建立したと伝わり、また現在極楽坊にある五重小塔(国宝)が安置されていたともいわれます。
宝徳3年(1451)の土一揆によって全焼し、現在は宝永4年(1707)に建てられた虚空蔵堂を本堂としています。昭和40年(1965)には元興寺小塔院跡として国史跡に指定されました。
高僧・護命ゆかりの寺
境内には鎌倉時代後期の宝篋印塔がありますが、これは奈良~平安時代にかけて活躍した高僧・護命の供養塔だと伝えられています。護命は秦氏の出身で、元興寺で法相教学を大成しました。天長4年(827)に僧正に任ぜられ、承和元年(834)に小塔院で入滅したことから「小塔院僧正」とも呼ばれています。
また中世の頃から南都土産として知られる「法論味噌」を作った人物と伝わります。法論味噌は天日で干した焼き味噌にゴマや麻の実、クルミ、山椒などを混ぜたなめ味噌。法論の間に食すことからこの名がつき、また「護命味噌」とも呼ばれています。