奈良公園

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奈良市/名勝 エリア広域/奈良市・大和高原 登大路、浅茅ヶ原、荒池、浮雲、春日野、飛火野、神鹿 ◆奈良公園 ●ならこうえん ●奈良市登大路町、高畑町、春日町、雑司町 奈良市登大路町、高畑町、春日町、雑司町にまたがる県立都市公園。明治期に観光客減少に伴い復興策として、明治13年(1880)に奈良公園の創設と整備が図られた。大正11年、国名勝奈良公園の指定を受ける。 総面積約660ヘクタールで日本有数の規模を持つ都市公園として整備され、昭和38年から奈良県が管理運営を行っている。 東大寺、春日大社、興福寺一帯に広がる奈良公園は、園内に正倉院、国立博物館があり、国宝・重要文化財を多数有する。 巨木老木が点在する浅茅ケ原・飛火野に群れ遊ぶ春日大社の神鹿は、観光奈良・古都奈良のシンボルとなっている。

猿沢池

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奈良市/名勝 エリア広域/奈良市・大和高原 放生池、采女神社、采女祭、興福寺五重塔 ◆猿沢池 ●さるさわいけ ●奈良市登大路町 興福寺の南側にある周囲約360メートルの興福寺の放生池。興福寺五重塔が水面に映える光景は絶景である。また、猿沢池に浮かぶ月は、南都八景の一つとされる。 池の北西には采女神社があり、帝の寵愛を受けた采女(後宮の女官)が、悲恋のゆえに猿沢池に身を投げ、その霊を鎮めるための祭り、采女祭は中秋の名月に行われる。

依水園

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奈良市/名勝 エリア広域/奈良市・大和高原 池泉回遊式庭園、寧楽美術館、三秀亭、中村準策、借景、茶室、茶会 ◆依水園 ●いすいえん ●奈良市水門町 前園と後園からなる二つの池泉回遊式庭園は、奈良を代表する日本庭園の一つ。1975年(昭和50)に国の名勝に指定、寧楽(※)の都をモチーフとしたもので、東大寺南大門、若草山、高円山などの借景が見事である。 前園は、興福寺摩尼珠院の別業があったところとされ、1670年代(延宝年間)、奈良晒業者・清須美道清が別邸を設け、庭の趣向を整え、萱葦の建物を造り、披露に招いた黄蘗山の木庵禅師が、この建物を「三秀亭」と名付けた。後園は1899年(明治32)、奈良の豪商であった関藤次郎が築いた築山式の池泉回遊式庭園。 海運業で財を成した中村家が1939年(昭和14)に買い取り、前園と後園を合わせた形で整備した。茶室も数部屋備わっており、四季折々の花を愛でながら、趣向を凝らした茶会が行える。 1969年(昭和44)、中村家所蔵の美術品を展示するため、寧楽美術館を併設、一般公開している。なお、三秀亭では、お昼時に庭園を鑑賞しながら麦めしとろろの食事も味わえる。

吉城園

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奈良市/名勝 エリア広域/奈良市・大和高原 池の庭、杉苔の庭、茶花の庭、庭園、茶会、茶室 ◆吉城園 ●よしきえん ●奈良市登大路町 「興福寺古絵図」には同寺子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされる。明治になって民間の所有となり1919年(大正8)に現在の建物と庭園が作られ、その後、奈良県の所有となる。 平成元年に庭園鑑賞や茶会の場を提供する場として開園。 園内は池の庭、杉苔の庭、茶花の庭からなり、杉苔の庭には離れ茶室がある。池の庭は、江戸時代からの地形の起伏、曲線をたくみに取り入れ、建物との調和を図っている。 庭園は、春は新緑、秋は紅葉と、四季折々の彩りは古都の情緒を感じさせる。 所在地 奈良市登大路町60-1 開園時間 9時-17時(入園は16時30分まで) 入園料 大人250円 駐車場 なし TEL 0742-22-5911
月ヶ瀬/名勝 奈良市/名勝 エリア広域/奈良市・大和高原 三大梅林、月ヶ瀬湖、一目八景、天神の森、祝谷、一目千本、鶯谷 ◆月ヶ瀬梅林 ●つきがせばいりん ●奈良市月ヶ瀬 梅の時期には月ヶ瀬湖の周囲4kmにわたり、かつて文人墨客らが絶賛した凛としてほのかに甘い香りの1万本の梅が咲き香る。 一目八景、天神の森、祝谷、一目千本、鶯谷などの景勝地を有する。 吉野地方の賀名生(あのう)梅林、広橋梅林とともに奈良県の三大梅林の一つにあげられる。
柳生/名勝 奈良市/名勝 エリア広域/奈良市・大和高原 しょうぶ、あじさい ◆柳生花しょうぶ園 ●やぎゅうはなしょうぶえん ●奈良市柳生町 1万平方メートルに及ぶ広大な園内に、6月上旬から7月初旬にかけて、約10万株の花しょうぶが色とりどりに花開く。 所在地 奈良市柳生町403 開園時期 6月上旬-7月初旬 時間 9時-17時 入園料 大人(中学生以上)650円 小学生350円 TEL 0742-94-0400

平城宮跡

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世界遺産 奈良市/史跡 エリア広域/奈良市・大和高原 平城京、平城遷都、大極殿正殿、東院庭園、朱雀門 ◆平城宮跡 ●へいじょうきゅうせき ●奈良市佐紀町 710年(和銅3)に藤原京より遷都され、平城京の中心であった宮跡。元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳(孝謙の重祚)・光仁・桓武の諸天皇の宮城となった。784年の長岡京遷都にいたるまで、日本の政治の中心地であった。 宮域内の内裏・大極殿・朝堂院や諸官庁の遺構は、1959年以来、発掘調査が続けられ、何度もの改築の跡が認められている。 東院庭園、朱雀門などの復原施設ほか、平城宮跡資料館・遺構展示館では、多数の出土品の展示や遺構が発掘されたままの状態で公開している。現在、第一次大極殿正殿の復原工事が行われ、平城遷都1300年にあたる2010年完成予定である。
柳生/史跡 奈良市/史跡 エリア広域/奈良市・大和高原 柳生宗矩、史跡公園、桜の名所 ◆柳生陣屋跡 ●やぎゅうじんやあと ●奈良市柳生町 柳生宗矩(むねのり)が1642年(寛永19)に建てた陣屋の跡。宗矩の三男宗冬(むねふゆ)によって整備されたが、1747年(延享4)の火災で全焼、それ以降は仮建築となった。 近年の発掘調査で当時の間取りが石垣で復元され、史跡公園となっている。また、桜の名所としても有名。
柳生/史跡 奈良市/史跡 エリア広域/奈良市・大和高原 柳生藩家老、小山田主鈴、山岡荘八 ◆旧柳生藩家老屋敷 ●きゅうやぎゅうはんかろうやしき ●奈良市柳生町 幕末の柳生藩家老・小山田主鈴の旧屋敷。1848年(嘉永元)に上棟された。 1964年(昭和39)に作家・山岡荘八が空き家になっていたこの屋敷を購入し、修復。しばしば柳生に滞在して創作活動を行った。山岡の死後、奈良市へ寄贈され、1981年から一般に公開された。 奈良県では数少ない武家屋敷の遺構であるとともに、小山田主鈴の旧柳生藩関係の文物、山岡荘八の遺品などは、貴重な歴史的資産でもある。

滝坂道

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柳生/史跡 奈良市/史跡 エリア広域/奈良市・大和高原 柳生街道、滝坂の道、石畳、夕日観音、朝日観音、寝仏、首切地蔵、春日山石窟仏 ◆滝坂道 ●たきさかのみち ●奈良市 柳生街道の一部。奈良市高畑町から新薬師寺、石窟仏、地獄谷を見て、八坂神社、さらに円成寺に至る約10kmの道のり。渓流沿いの石畳の道は、江戸時代中期に奈良奉行によって敷設されたと伝えられる。 中世の石仏の多いことでも知られ、夕日観音、朝日観音、寝仏、首切地蔵、春日山石窟仏(国史跡)、地獄谷石窟仏(国史跡)などが散見できる。
柳生/史跡 奈良市/史跡 エリア広域/奈良市・大和高原 疱瘡地蔵、正長の土一揆、杉田定一 ◆正長元年柳生徳政碑 ●しょうちょうがんねんやぎゅうとくせいひ ●奈良市柳生町 碑文は疱瘡(ほうそう)地蔵に向かって右下方に縦33cm×横21cmの長方形の枠内に「正長元年ヨリ/サキ者カンへ四カン/カウニヲ井メアル/ヘカラス」の4行27文字が印刻されている。 文意は、「正長元年より先は神戸四箇郷(春日社領の大柳生・柳生・阪原・邑地)に負目あるべからず」と、現在解釈されている。大正14年に柳生町の研究者、杉田定一によって解読された。 石刻の時期については諸説あるが、正長の土一揆により徳政を勝ち取った百姓らが記念に彫った物とされ、民衆が刻み残した資料として歴史的価値が大きい。

東大寺

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世界遺産 奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 総国分寺、大仏殿、盧舎那仏、二月堂、お水取り、聖武天皇、行基、重源 ◆東大寺 ●とうだいじ ●奈良市雑司町 奈良時代に建立された総国分寺。 728年(神亀5)に聖武天皇が夭折した皇太子基親王のために建立した金鐘山寺に歴史は遡る。 741年(天平13)に「国分寺・国分尼寺建立の詔」が発せられると、金鐘山寺は大和国の国分寺にあてられ、国家鎮護の官寺となった。 743年(天平15)の「盧舎那大仏造顕の詔」によって大仏鋳造が始まり、当初の紫香楽宮から平城遷都に伴う事業中断等を経て、752年(天平勝宝4)に開眼供養が行われた。 大仏殿を中心とした七堂伽藍の造営もこの頃までにほぼ完成。この大仏鋳造と伽藍造営には近鉄駅前にその銅像のある行基のまとめる大衆の勧進が大きかったという。 鎌倉時代の平重衡による南都焼討ちにより、法華堂や二月堂、正倉院などの一部を除いた大半の伽藍が焼失したが、俊乗房重源により伽藍復興が進められた。大仏様の代表といわれる南大門(国宝)や運慶・快慶による木造金剛力士像(国宝)はこのときの復興によるもの。 大仏殿の他、法華堂(三月堂)や二月堂、大湯屋など国宝、重要文化財に指定されている建造物が多数あり、彫刻に関しても法華堂の諸尊や戒壇堂の塑造四天王立像などが多数が指定を受ける。名実ともに奈良を代表する大寺である。

元興寺

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世界遺産 奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 法興寺、極楽坊、西国薬師 ◆元興寺 ●がんごうじ 奈良市中院町、芝新屋町 蘇我馬子が飛鳥に建立した我が国最古の本格的寺院である法興寺を前身とする。平城京遷都に伴い現在地に移され、元興寺の寺号で伽藍が建立された。東大寺や興福寺と並んで寺勢を誇ったが、次第に衰退。 現在は中院町の極楽坊と称された元興寺と芝新屋町の元興寺(塔跡)とに分かれる。極楽坊の本尊は奈良時代の高僧・智光が感得したという浄土変相図。原本は消失したが、大型板絵本、厨子入絹本(いずれも重文)などが伝わっており、智光曼荼羅と呼ばれ浄土三大曼荼羅のひとつに数えられる。本堂(曼荼羅堂、国宝)の瓦は行基葺という瓦を葺き重ねる方法で葺かれており、一部飛鳥時代の瓦も使われている。 禅室は国宝、東門は重文。収蔵庫に安置されている五重小塔(国宝)は天平時代に造られたという元興寺五重塔の模型といわれ、当時の建築を知る貴重な資料。収蔵庫にはこの他、千体仏などの庶民信仰資料が展示公開されている。 芝新屋町の元興寺には国史跡の塔跡が残るのみ。本尊の十一面観音立像(重文)と一木造薬師如来立像(国宝)は奈良国立博物館に寄託されている。

般若寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 西国薬師、関西花の寺、コスモス、十三重石塔 ◆般若寺 ●はんにゃじ ●奈良市般若寺町 629年(舒明天皇元)に高句麗僧の慧灌が創建したと伝えられる。平重衡の南都焼討ちで伽藍が消失したが、鎌倉時代に西大寺の叡尊と忍性が再興。楼門(国宝)と経蔵(重文)はその際に再建されたもの。 高さ14メートルの十三重石塔(重文)は宋時代の石工・伊行末の手のもの。本尊の木造文殊菩薩騎獅像(重文)は1324年(元享4)の作。 西国薬師第3番札所、関西花の寺第17番札所。境内いっぱいに咲き乱れるコスモスが有名で、時期にはカメラマンや観光客でいっぱいになる花の名所でもある。

不退寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 平城天皇、阿呆親王、在原業平、不退転法輪寺、レンギョウ ◆不退寺 ●ふたいじ ●奈良市法蓮町 平城天皇が仮住まいした「萱の御所」が阿呆親王と在原業平に伝えられ、業平が勅命により自作の観音像を祀り、不退転法輪寺と称したのが始まりといわれている。 業平にちなんで業平寺とも呼ばれる。本堂・南門・多宝塔は重要文化財。 本尊は木造聖観音立像で木造五大明王像とともに重要文化財に指定されている。春先に咲くレンギョウの美しさで有名だが、それ以外でも四季折々の花が美しく咲き乱れ、花の寺として人気が高い。

新薬師寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 西国薬師第六番札所、光明皇后、十二神将立像、解脱上人、明恵上人 ◆新薬師寺 ●しんやくしじ ●奈良市高畑町 747年(天平19)に光明皇后が聖武天皇の病気平癒を祈願して建立された寺院。 新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく霊験「あらたかな」の意味。創建当初は七堂伽藍を誇っていたが、780年(宝亀11)に西塔落雷の火が金堂・講堂に延焼。 復興されるも、962年(応和2)の台風で金堂など多くの堂宇が倒壊した。現在の伽藍は鎌倉時代に解脱上人や明恵上人が復興に尽力して整えられたものである。 奈良時代後期に建てられたとされる本堂はこれらの危機を乗り越えて残り、国宝に指定されている。 彫刻では本尊の木造薬師如来坐像(国宝)を中心にぐるりと周囲を取り囲むようにして配置されている塑造十二神将立像(国宝)が有名。 また、1984年(昭和59)に本堂安置の景清地蔵尊の体内より裸形地蔵尊が発見され話題となった。

法華寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 総国分尼寺、大和の三門跡尼寺、光明子、重源、叡尊 ◆法華寺 ●ほっけじ ●奈良市法華寺町 中宮寺・円照寺とともに大和三門跡尼寺に数えられる寺。藤原不比等の邸宅を娘の光明皇后が皇后宮とし、745年(天平17)に宮寺となったのが起源。正式名称は法華滅罪之寺。総国分尼寺として国分尼寺を統括した。 782年(延暦元)までに七堂伽藍が揃い大寺院の様相を呈したが、南都焼討ちで大被害を受けた。その後、重源や叡尊によって復興されるも室町時代以降は衰退。1601年(慶長6)に淀君によって建てられた本堂・南門・鐘楼が現存し、重要文化財に指定されている。 本尊の十一面観音立像(国宝)は光明皇后をモデルにしたといわれる白檀の一木造りで木肌が美しい秘仏。特別公開の以外は厨子に納められ、普段は模造仏が公開されている。 『平家物語』の「滝口入道」の悲恋話で知られる横笛が出家した寺としても知られている。

海龍王寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 玄昉、海龍王経、五重小塔 ◆海龍王寺 ●かいりゅうおうじ ●奈良市法華寺北町 平城宮の北東隅にあることから隅寺と呼ばれた寺。731年(天平3)に光明皇后が建立し、735年(天平7年)に唐より一切経五千余巻を携えて帰国した玄昉が初代住持となった。玄昉は帰国航海の途中に暴風雨に襲われた遭難しかけたが、船に収められていた「海龍王経」を一心に唱えたことで海龍王に守護され無事帰国できたという逸話に因み、海龍王寺という寺号がつけられた。これ以降、海龍王寺では遣唐使の渡海安全祈願を営むようになり、現在でも旅行や留学で海を渡る人々の渡海祈願の寺として信仰を集めている。 本尊の十一面観音菩薩立像は鎌倉時代の作で重要文化財に指定されている。 西金堂(重文)に置かれている五重小塔(国宝)は奈良時代前期の作で、当時の五重塔建築を伝える唯一のもの。文化的価値が非常に高く、奈良時代の建築を知る上で貴重な資料となっている。

弘仁寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 高樋の虚空蔵さん、十三詣り ◆弘仁寺 ●こうにんじ ●奈良市虚空蔵町 標高182メートルの虚空蔵山(別名:高樋山)にあり「高樋の虚空蔵さん」と親しまれている寺。虚空蔵寺ともいう。 814年(弘仁5)に嵯峨天皇の勅願により建立したという。本尊の虚空蔵菩薩立像は厨子に入っており秘仏。十三歳の子どもが学業成就・厄除開運を祈る「十三まいり」が有名。

正暦寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 兼俊僧正、錦の里、紅葉狩り ◆正暦寺 ●しょうりゃくじ ●奈良市菩提山町 992年(正暦3)に一条天皇の勅願により、九条関白藤原兼家の子である兼俊僧正が建立。最盛期には八十あまりの僧坊を持つほどの規模を誇っていたが、南都焼討ちにより大半が焼失。 その後、中興の祖・新円により再建されるもまた兵火により衰退し、現在も本堂は仮金堂のままで復興できずにいる。江戸時代前期に建てられた塔頭の福寿院客殿と本尊の金堂薬師如来倚像は重要文化財に指定されている。 清酒発祥の地といわれていており、参道脇を菩提仙川が流れる。紅葉の美しさは「錦の里」と形容されるほどで、毎年大勢が紅葉狩りに訪れる。

薬師寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 南都七大寺、天武天皇、持統天皇、フェノロサ、東塔、西国薬師 ◆薬師寺 ●やくしじ ●奈良市西ノ京町 南都七大寺の一つで法相宗大本山。天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して発願。持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の御世に伽藍の完成をみた大寺院。 七堂伽藍を誇ったが、数度となく火災等の災害に遭い、1528年(享禄元)に起こった大和の地侍らの兵乱によって東塔を除くすべての堂宇が焼失した。 昭和以降、般若心経の写経勧進によって寺勢が回復し、金堂・西塔・中門・回廊の一部・大講堂が再建された。 アメリカの哲学者・美術史家フェノロサが「凍れる音楽」と称賛した東塔(国宝)は各階に裳階が巡らされ六層に見えるが、730年(天平2)造立の三重塔。最も美しい木塔と称えられ、飛天らの透かしが見事な相輪の水煙も素晴らしい。 彫刻では金堂の本尊である銅造薬師如来坐像と脇侍の日光・月光菩薩立像からなる薬師三尊像、東院堂(鎌倉時代、国宝)に祀られている銅造観音菩薩立像が国宝に指定されている。 唐招提寺と共に西ノ京を代表する寺院である。

唐招提寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 南都六宗、律宗、鑑真 ◆唐招提寺 ●とうしょうだいじ ●奈良市五条町 南都六宗の一つである律宗の総本山。鑑真和上が新田部親王旧宅に律宗の道場を開いたことに始まる。 鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や経蔵、宝蔵などがあるだけだったが、弟子の如宝らの尽力により伽藍が整えられていった。 天平建築の代表とされる寄棟造の金堂(国宝)は平成大修理。2009年の秋に金堂平成大修理落慶法要が行われる予定となっている。 緑深い境内には平城宮の東朝集殿を移築改造した講堂や奈良時代の校倉である宝蔵や経蔵、鑑真和上坐像(国宝)を祀り東山魁夷の障壁画でも有名な御影堂など国宝、重要文化財建築が多数立ち並ぶ。彫刻でも本尊の乾漆盧舎那仏坐像、木心乾漆薬師如来立像、千手観音立像など多くの国宝、重要文化財を所蔵している。 行事では、鎌倉時代に寺を再興した覚盛上人を偲んで毎年5月19日に行われる「うちわまき」が有名。また、6月6日の開山忌と前後の3日間は鑑真和上坐像が特別開扉される。

白毫寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 関西花の寺、閻魔もうで ◆白毫寺 ●びゃくごうじ ●奈良市白毫寺町 高円山の山麓にあり、境内からは奈良盆地が一望できる。境内の五色椿(天然記念物)は東大寺開山堂の糊こぼし、伝香寺の散り椿とともに奈良三名椿として名高い。また、秋に咲く萩の美しさも有名で関西花の寺第18番となっている。 天智天皇の皇子である志貴皇子の山荘を前身とする寺といわれ、鎌倉時代に西大寺の叡尊が復興した。その後、叡尊弟子である道照が宋版一切経を将来してからは一切経寺とも呼ばれ栄えた。 室町時代に兵火で建物が焼失するも、現存する仏像はその災禍を免れて江戸時代に興福寺の空慶により再建された。 本尊は平安末期?鎌倉初期に造られた木造阿弥陀如来坐像(重文)。運慶の孫の康円の作とされる閻魔王坐像(重文)を祀っていることでも有名で、冬と夏に「閻魔もうで」が行われる。

徳融寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 右大臣藤原豊成、中将姫 ◆徳融寺 ●とくゆうじ ●奈良市鳴川町 右大臣藤原豊成の屋敷跡に建てられた寺で奈良町にある中将姫ゆかりの寺の中で一番大きな寺。中将姫が少女時代に継子いじめに遭ったエピソードを伝える「虚空塚」や「雪責松」などが残されており、豊成父子の供養塔という二基の宝篋印塔がある。 もともとは元興寺の境内にあった道場と伝えられる、室町時代に元興寺が土一揆で羅災したため本尊を現在地へ移し、1590年(天正18)に融通念仏宗の檀家寺院となって以来信仰を集めている。 本堂は1667年(寛文7)に休岸上人の再建で北条政子の念持仏であったという木造阿弥陀如来立像が本尊として祀られている。

芳徳寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 芳徳禅寺、柳生石舟斎宗厳、沢庵和尚、柳生新陰流 ◆芳徳寺 ●ほうとくじ ●奈良市柳生下町 芳徳禅寺とも呼ばれる。柳生宗矩が父である柳生石舟斎宗厳の菩提を弔うため、宗矩と親交のあった沢庵和尚を開基として開山。 以来、柳生家の菩提寺となり、本堂裏の柳生家歴代の墓所には八十基あまりの石塔が並んでいる。本堂には本尊の木造彩色釈迦如来坐像ほか、宗矩や沢庵和尚らの像を祀る。 柳生新陰流に関する史料も多く残され、それらの寺宝は庫裏で展示公開されている。

円成寺

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奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 浄土式庭園 ◆円成寺 ●えんじょうじ ●奈良市忍辱山町 756年(天平勝宝8)に聖武天皇の勅願により鑑真の弟子である虚滝が開山したとも、1026年(万寿3)に命禅が春日神の造った十一面観音を祀ったことに始まるとも伝えられる。 応仁の乱で伽藍の大半を焼失するも再興し、江戸時代には将軍家の庇護を受けて寺勢を保った。 緑深い境内に平安時代の庭園遺構が復原された名勝の浄土式庭園が美しく映える。本堂と楼門は重要文化財。 1463年(文政元)に再建された本堂には内陣の四本柱に聖衆来迎二十五菩薩の極彩画が残っており、本尊で重要文化財の木造阿弥陀如来坐像(平安時代)が祀られている。 円成寺で有名なのは多宝塔に祀られている大日如来坐像。仏師運慶の初期の秀作として知られ、国宝に指定されている。

興福寺

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世界遺産 奈良市/寺院 エリア広域/奈良市・大和高原 西国三十三ヶ所、西国薬師、中臣鎌足、山階寺、厩坂寺 ◆興福寺 ●こうふくじ ●奈良市登大路町 669年(天智8)に中臣鎌足の病気平癒のために妻の鏡女王が山城国に山階寺を建てたのが起源。その後、山階寺は飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で藤原不比等により現在地に移されて興福寺と改号された。 平安時代初期までに伽藍は完成し藤原家の庇護のもと、寺領を広げ大寺院を形成。南都の興福寺は北の比叡山延暦寺と並び僧兵を擁して一大勢力を誇った。しかし、平重衡による南都焼討ちによって全焼した。焼討ち後の復興による鎌倉建築、彫刻の多数が国宝・重要文化財の指定を受けている。 その後も興廃を繰り返したが、江戸時代の大火以後は復興できず明治時代の廃仏毀釈では無住の寺となり、シンボルともいえる1426年(応永33)再建の五重塔(国宝)まで売りに出される始末であったが、1882年(明治15)に法相宗の大本山となり、近年では伽藍整備が進められており、往時の姿を取り戻しつつある。 旧食堂、細殿跡に興福寺宝物収蔵庫として建設された国宝館では各時代の仏像を初めとして多種多様な寺宝が展示されており、有名なものでは乾漆八部衆立像の阿修羅像(国宝)や銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊、国宝)がある。 南円堂は西国三十三ヶ所第九番札所、東金堂は西国薬師第四番札所となっている。
奈良市/神社 エリア広域/奈良市・大和高原 東大寺大仏守護神 ◆手向山八幡宮 ●たむけやまはちまんぐう ●奈良市雑司町 東大寺大仏殿の東、法華堂からすぐ北の場所にひっそりとたたずむ神社。聖武天皇が大仏を造営した時に、宇佐八幡宮を東大寺大仏守護神として勧進したのが始まりとされる。もともとは鏡池のそばにあったが、1250年(建長2)に北条時頼によって現在地に遷された。 創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治時代のの神仏分離の際に東大寺から独立した。菅原道真が「此の度は弊も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」(百人一首)と和歌を詠んだことでも知られる。

春日大社

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世界遺産 奈良市/神社 エリア広域/奈良市・大和高原 藤原不比等、鹿島神、一間社春日造 ◆春日大社 ●かすがたいしゃ ●奈良市春日野町 平城京守護のため創建された神社。 710年(和銅3)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の地に迎えたのが始まりとされ、武甕槌命を筆頭として本殿四棟に四神が祀られている。 一間社春日造の本殿は1863年(文久3)のものだが、式年造替によって古い形が守られており、全国に広く分布する春日造の代表例として国宝に指定されている。 朱塗りの鮮やかな南門(重文)から続く回廊には釣燈籠が隙間なく吊るされており、節分と8月の中元万燈籠の際にはそれらに火が灯されて幻想的な光景を見ることができる。 本殿や南門以外にも中門や廻廊など多数の建造物、社宝が国宝、重要文化財に指定されている日本有数の神社。境内は史跡名勝記念物。

氷室神社

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奈良市/神社 エリア広域/奈良市・大和高原 氷室、しだれ桜、献氷祭 ◆氷室神社 ●ひむろじんじゃ ●奈良市春日野町 平城遷都に伴い吉城川上流に氷室や氷池をつくり祀ったのが始まりとされる。 奈良市内で一番に咲くといわれるしだれ桜が有名。こじんまりとした境内には舞殿があり、桜の季節には芸能奉納が行われる。 また、5月1日に製氷業界によって行われる献氷祭では、花氷や氷柱などが供えられ、舞楽が奉納される。
柳生/神社 奈良市/神社 エリア広域/奈良市・大和高原 巨石、柳生宗厳、新陰流 ◆天乃石立神社 ●あめのいわちじんじゃ ●奈良市柳生町 延喜式に記載のある式内社。柳生の山中にあり、社殿はない。巨石を神体とし、祀っている。 柳生藩代々の信仰が篤く、柳生宗厳が上泉信綱より新陰流の剣の道を伝授され、無刀の極意を悟ったと言われる剣の奥の院でもある。
柳生/神社 奈良市/神社 エリア広域/奈良市・大和高原 太鼓踊り ◆夜支布山口神社 ●やしふ(やぎう)やまぐちじんじゃ ●奈良市大柳生町 大柳生の氏神で『延喜式』にも記載のある神社。集落の長老の家に一年交代で神様の分霊を迎える「廻り明神」という珍しい行事があり、700年の伝統を持つ大柳生の太鼓踊り(県指定無形民俗文化財)が奉納される。 摂社である立磐神社は、巨石を御神体している。本殿は1747年(延享4)に春日大社の第四殿を移したもので重要文化財。
奈良市/古墳・陵墓 エリア広域/奈良市・大和高原 ウワナベ古墳・コナベ古墳 ◆宇和奈邊・小奈邊陵墓参考地 ●うわなべ・こなべりょうぼさんこうち ●奈良市法華寺町 佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)の東群を構成する代表的な古墳。周囲に壕をめぐらせた巨大な前方後円墳で、墳丘長は、ウワナベ古墳が255m、コナベ古墳が204m。コナベ古墳のまわりには副葬品などを納めたとみられる方墳や円墳があり、古墳時代中期(5世紀ごろ)を代表する古墳である。 被葬者は、墳丘の規模から仁徳天皇の妃、もしくは皇子・皇女の墓の可能性があるとされる。

法隆寺

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世界遺産 斑鳩町/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 聖徳太子 ◆法隆寺 ●ほうりゅうじ ●生駒郡斑鳩町法隆寺 聖徳太子ゆかりの斑鳩の地にあり、現存する世界最古の木造建築といわれる金堂、五重塔があり、また数多くの美術品を有し、建築的にみても、また文化的にみても貴重な寺院である。 境内は、金堂や五重塔などの主要伽藍のある西院と、夢殿を中心とする東院の二つに区画される。 中世に戦場となった南都から離れていたため兵火を免れたことは、国宝134点、重要文化財2307点もの文化遺産を保存できた。 1993年(平成5)、法隆寺地域の建造物が木造建築としての構造・配置両観点から傑作であることなどを事由に、法隆寺および法起寺が世界遺産に登録された。

法輪寺

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斑鳩町/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 聖徳宗、木造虚空蔵菩薩立像 ◆法輪寺 ●ほうりんじ ●生駒郡斑鳩町三井 創建には、622年(推古天皇30)に聖徳太子の病気平癒を祈願し、山背大兄王と由義王が建立したという説と、670年(天智9)の斑鳩寺焼失後、百済開法師、圓明法師、下氷新物の3人が建立したという説の2説がある。 飛鳥時代の木造薬師如来坐像(重文)と木造虚空蔵菩薩立像(重文)の二体を伝わるところから、7世紀末頃には大半の伽藍が整っていたと考えられる。伽藍は法隆寺式伽藍配置で、規模は法隆寺西伽藍の3分の2程。講堂に前出の本尊木造薬師如来坐像ほか7体が安置されている。

法起寺

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世界遺産 斑鳩町/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 岡本山 ◆法起寺 ●ほうきじ ●生駒郡斑鳩町岡本 創立は、『聖徳太子伝私記』によると、山背大兄王(やましろのおおえのおう)が、聖徳太子の遺命により、太子の宮であった岡本宮を寺としたという。 伽藍配置は、法起寺式で東に塔、西に金堂と、法隆寺とは塔と金堂の位置が真逆である。 創建当時のままの建物は、706年(慶雲3)建立と推定される三重塔(国宝)だけであるが、三重塔では現存最古の遺構である。 ▽データ 所在地 生駒郡斑鳩町岡本1873 別名 岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺 山号 岡本山 宗派 聖徳宗 本尊 十一面観音菩薩 ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年6月号』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-01-IT 【関連タグ】 エリア広域/生駒・斑鳩 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

中宮寺

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斑鳩町/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 大和の三門跡尼寺、太子建立七ヶ寺 ◆中宮寺 ●ちゅうぐうじ ●生駒郡斑鳩町法隆寺 太子建立七ヶ寺の一つで、法華寺、円照寺とともに大和の三門跡尼寺に数えられる。 聖徳太子が母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の亡きあとに、その御所を寺としたと伝えられる。 創立年代は詳らかではないが、発掘調査などにより、法隆寺若草伽藍(わかくさがらん)と同時期に四天王寺式の伽藍が建立されたとみられる。 ▽データ 所在地 生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 別名 法興尼寺、鵤尼寺 山号 法興山 宗派 聖徳宗 本尊 如意輪観世音菩薩 ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2005年10月号』、増田秀光編集『聖徳太子の本』、五木寛之監修『百寺巡礼』  ●初書/2007-09-01-IT 【関連タグ】 エリア広域/生駒・斑鳩 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

千光寺

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平群町/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 役行者、元山上、仏塔古寺十八尊 ◆千光寺 ●せんこうじ ●生駒郡平群町鳴川 役行者が大峯山を開く前にこの地で修行したといわれることから、元山上とも呼ばれる。 寺伝では天智天皇の治世に役小角が千手観音を刻んで祀ったことに始まるとされ、中世には寺領五百石を得て栄えたが兵火により衰退。 江戸時代に復興し北之坊、湯屋坊など十一坊が立ち並ぶも、現在は蔵之坊のみが残る。本尊は十一面千手観音菩薩。鐘楼に懸けられている梵鐘には1225年(元仁2)の銘文がある貴重な紀年銘鐘。寺内にはユースホステルが設置されている。 ▽データ 所在地 生駒郡平群町鳴川 通称 元山上千光寺 山号 鳴川山 宗派 真言宗醍醐派 本尊 十一面千手観音菩薩 札所 仏塔古寺十八尊 第14番 ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2006年1月号』 ●初書/2007-09-01-SH 【関連タグ】 エリア広域/生駒・斑鳩 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
平群町/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 毘沙門天、聖徳太子、信貴山縁起絵巻 ◆朝護孫子寺 ●ちょうごそんしじ ●生駒郡平群町信貴山 聖徳太子が蘇我氏と物部氏の戦いの際に、当地で毘沙門天王を感得し、その加護で蘇我氏が勝利したことから、当地を信ずべき貴ぶべき山・信貴山と名づけ、毘沙門天王を祀るために寺院を建立したことから始まる。 毘沙門天を感得したのが寅の年、寅の月、寅の日であったと伝えられることから、境内には「福虎」と称される虎の張子が置かれており、毎月三日と寅の日は縁日とされ多くの参拝客で賑わう。 朝護孫子寺の名は、命蓮が醍醐天皇の病気平癒を祈願し霊験があったことから、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ったという。 戦国時代には山頂に信貴山城が築かれ、1577年(天正5)に当時の城主・松永久秀と織田信長の間で信貴山攻防戦が起こった。信長が久秀を滅ぼし、信貴山城を攻略。寺も消失するが、豊臣秀頼によって再建された。 寺宝の『信貴山縁起絵巻』は国宝に指定されており、日本の絵巻物の代表作といわれる。平安時代後期、12世紀の成立とされ、通常の寺社縁起のように開山の縁起を記したものではなく、平安時代中期に信貴山で修行してた中興の祖・命蓮に関する説話を描いている。 ▽データ 所在地 生駒郡平群町信貴山2280-1 別名 信貴山寺、志貴山寺 山号 信貴山 宗派 信貴山真言宗(総本山) 本尊 毘沙門天王 TEL 0745-72-2277 URL http://www.sigisan.or.jp/ ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2006年4月号』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』  ●参考HP/信貴山  ●初書/2007-09-01-SH 【関連タグ】 エリア広域/生駒・斑鳩 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

宝山寺

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生駒市/寺院 エリア広域/生駒・斑鳩 生駒の聖天さん ◆宝山寺 ●ほうざんじ ●生駒市門前町 「生駒の聖天さん」の愛称で親しまれている寺。生駒山の中腹に突き出た「般若窟」と呼ばれる奇石を背負って本堂が建つ。 般若窟の名は役小角が般若経を納めたことに由来し、「生駒の聖天さん」の愛称は歓喜天を祀っている聖天堂に由来する。 宝山寺は斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたと伝えられる修験道場で、空海も若い頃に修行したという説話が残っている。 江戸時代に中興の祖といわれる湛海が入山し、不動明王を本尊として再興した。本尊の木造不動明王坐像と厨子入りの木造五大明王像は湛海の自作。木造五大明王像は明治建築の獅子閣とともに重要文化財に指定されている。 江戸時代に商売の神として大阪庶民の信仰を集め、現在でも商売繁盛として全国に知られる。また「断ち祈願」でも有名で、絵馬堂には様々な祈願が記された絵馬が並んでいる。 ▽データ 愛称 生駒の聖天さん 山号 生駒山 宗派 真言律宗 本尊 不動明王 所在地 生駒市門前町 URL http://www1.kcn.ne.jp/~hozanji1/ ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』 ●初書/2007-09-01-IT 【関連タグ】 エリア広域/生駒・斑鳩 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
大和郡山市/神社 エリア広域/大和郡山・磯城 矢落明神、櫛玉饒速日命、天磐船、二之矢塚、木製プロペラ ◆矢田坐久志玉比古神社 ●やたにいますくしたまひこじんじゃ ●大和郡山市矢田町 延喜式内社に比定され、俗に矢落(やおち)明神という。 古代の豪族である物部氏の祖神といわれる櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)に関する伝承が残る。 饒速日命が天磐船(あめのいわふね)にのり高ヶ原(たかまがはら)から降臨の際に、三本の矢を放ち、その落ちた所を宮所と定め、二の矢が落ちた所がこの社地で、境内に「二之矢塚」がある。 航空の神とされ、旅行の安全祈願に訪れる人も多い。春日造の本殿(重要文化財)は室町時代の建築で、本殿正面の楼門には、昭和初期の木製プロペラが奉納されている。 ▽データ 所在地 大和郡山市矢田町 別称 矢落明神、矢田の大宮さん 祭神 櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと) ●参考文献/高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の隠れ古社寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2006年8月号』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

鏡作神社

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田原本町/神社 エリア広域/大和郡山・磯城 鏡作部 ◆鏡作神社 ●かがみつくりじんじゃ ●磯城郡田原本町八尾 延喜式内大社で、「和名抄」鏡作郷に鎮座し、古来から鏡鋳造の神として信仰された。 祭神である石凝姥命は、天照大神の御魂の神爾の鏡として内待所に祀る鏡を鋳造したとされ、社伝ではその試鋳の鏡が鏡作神社のご神体であると伝える。 神社の本殿は、東面した五間社流造で、本殿三社と二つの合間から成る。詳細は不明であるが、江戸時代中期の建築とされる。 毎年2月下旬の御田植祭は、お田植舞、豊年舞、牛使いが行われ、近隣の氏子でにぎわう。牛使いが乱暴にすると慈雨に恵まれるといわれる。 ▽データ 所在地 磯城郡田原本町八尾 正式名称 鏡作坐天照御魂神社 祭神 天照国照彦火明命、石凝姥命、天糖戸命 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●参考HP/田原本町  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

糸井神社

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川西町/神社 エリア広域/大和郡山・磯城 ◆糸井神社 ●いといじんじゃ ●磯城郡川西町結崎 糸井とは本来この付近一帯を総称した郷名で、糸井郷の豪族が糸井造(いといのみやつこ)である。社伝によると機織りの技術集団の神とある。 祭神は豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)とされるが、一説には綾羽、呉羽の織物の神を祀り、江戸時代の古代機織集団に関係するともいわれる。 元拝殿には、雨乞いのなもで踊りと西瓜を切り売りする姿が描かれた絵馬や、おかげ踊りの絵馬がある。 ▽データ 所在地 磯城郡川西町結崎 祭神 豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと) ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
大和郡山市/寺院 エリア広域/大和郡山・磯城 矢田寺 ◆金剛山寺(矢田寺) ●こんごうせんじ(やたでら) ●大和郡山市矢田町 梅雨時には、色とりどりのアジサイの花が咲く名所、また地蔵信仰で名高い寺。 天武天皇の勅願により、773年(天武天皇2)に、入唐僧智通が創建したとされる。 当初は十一面観音が本尊とされたが、平安時代初期に満米(まんまい)上人が地蔵菩薩を本尊として以降、地蔵信仰の一大道場として栄えた。 ▽データ 所在地 大和郡山市矢田町3506 通称 矢田寺、矢田の地蔵さん 山号 矢田山 宗派 高野山真言宗 本尊 地蔵菩薩 ●参考文献/前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年8月号』 ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

松尾寺

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大和郡山市/寺院 エリア広域/大和郡山・磯城 厄除け、バラ ◆松尾寺 ●まつおでら ●大和郡山市山田町 日本最古の厄除け霊場として知られ、5月中旬から6月初旬には、バラが境内に咲き並ぶ。 寺伝では、718年(養老2)に天武天皇の第5皇子である舎人(とねり)皇子が建立したと伝わる。 舎人皇子が『日本書紀』編纂にあたり、書紀の完成と、自身の42歳の厄除けの願いを込め、寺の建立にあたったという。 ▽データ 所在地 大和郡山市山田町683 別称 まつのおでら、まつのおさん 山号 補陀洛山 宗派 真言宗 本尊 千手千眼観音菩薩 TEL 0743-53-5023 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年8月号』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

永慶寺

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大和郡山市/寺院 エリア広域/大和郡山・磯城 柳沢吉保、柳沢家菩提寺 ◆永慶寺 ●えいけいじ ●大和郡山市永慶寺町 郡山藩主柳沢氏代々の菩提寺である。 甲斐国岩窪に創建したものを、1724年(享保9)に第二代藩主の柳沢吉里が、大和国へ国替えの際に、大和郡山市の現在地に移転した。 ▽データ 所在地 大和郡山市永慶寺町 山号 龍華山 宗派 黄檗宗 本尊 釈迦如来 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、読売奈良ライフ発行『yomiっこ2006年2月号』 ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

大納言塚

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大和郡山市/史跡 エリア広域/大和郡山・磯城 豊臣秀長、大納言祭 ◆大納言塚 ●だいなごんづか ●大和郡山市箕山町 1591年(天正19)に51歳で没した、豊臣秀吉の弟の豊臣秀長の墓所。大和・和泉・紀伊100万石を治め、大和郡山を拠点としていた秀長の遺骸は、この地に葬られた。最終官位が大納言であることから大納言塚という。 江戸時代に墓所は荒廃したが、菩提寺であった春岳院の僧である栄隆らの尽力により、1777年(安永6)に墓域が整備され、五輪塔が立てられた。現在ある五輪塔は、その時のものである。 毎年4月22日には、「大納言祭」がとりおこなわれる。 ▽データ 所在地 大和郡山市箕山町 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

郡山城跡

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大和郡山市/史跡 エリア広域/大和郡山・磯城 筒井順慶、柳沢吉里、桜 ◆郡山城跡 ●こおりやまじょうあと ●大和郡山市北郡山町ほか 大和の戦国大名筒井順慶が築城し、その後、秀吉の異父弟豊臣秀長、増田長盛らが拡張した。江戸期に入ってからは、水野、松平、本多とかわり、1724年(享保9)に甲斐国から柳沢吉保の子吉里が15万石で入り、明治まで柳沢家が藩主をつとめた。 現在、城跡には遺構のほかに、江戸期の史料を保管する柳沢文庫や、藩主柳沢氏を祀る柳沢神社がある。 4月に城郭を取り巻く桜は実に見事、日本さくら名所100選にも選ばれ、多くの花見客が訪れる。 ▽データ 所在地 大和郡山市北郡山町ほか ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/大和郡山・磯城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

舒明陵

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桜井市/古墳・陵墓 エリア広域/天理・桜井 押坂内陵、段ノ塚古墳、八角形墳 ◆舒明陵 ●じょめいりょう ●桜井市忍阪 第34代舒明天皇の押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)に治定されている。 この地は現在、忍阪(おっさか)であるが、古くは忍坂(おさか)といっていた。また、八角形墳であることから、天皇またはそれに準ずるものの墳墓と考えて、舒明天皇の陵墓である可能性が極めて高い。 墳丘は、古墳名の段ノ塚古墳のとおりで、三段の方形壇の上に八角形で、八角形墳の一つとされる。(一説には、不整形な七角形にしか復原できないという説もある。) 内部施設は、石棺を安置した横穴式石室の可能性が高い。 ▽データ 所在地 桜井市忍阪 古墳名 段ノ塚古墳 形式 八角形墳 ●参考文献/来村多加史著『風水と天皇陵』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、河上邦彦著『大和の終末期古墳』、不二龍彦著『歴代の天皇』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2004年12月号』  ●初書/2007-09-13-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

景行陵

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天理市/古墳・陵墓 エリア広域/天理・桜井 渋谷向山古墳、山辺道上陵 ◆景行陵 ●けいこうりょう ●天理市渋谷町 渋谷向山古墳は、第12代景行天皇の山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)に治定されている。 前方部を西に向け、丘陵の先端を利用して3段に構築された前方後円墳で、全長約300m、前期古墳の中では最大規模を誇る。 幕末に大規模な修陵が加えられており、築造時の形状はとどめていないが、周囲約1kmに堀をめぐらせている。当時の修陵は、農業用水確保の一面を担っていた。 ▽データ 所在地 天理市渋谷町 古墳名 渋谷向山古墳 形式 前方後円墳 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、外池昇著『天皇陵の近代史』  ●初書/2007-09-13-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

崇神陵

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天理市/古墳・陵墓 エリア広域/天理・桜井 行燈山古墳、崇神天皇 ◆崇神陵 ●すじんりょう ●天理市柳本町 行燈山(あんどんやま)古墳は、幕末に第10代崇神天皇の山辺道勾岡上陵(やまのえのみちのまがりのおかのえのみささぎ)に治定された。 大和盆地東南部に位置する大和(おおやまと)古墳群の中核を占める古墳の一つで、全長242mの前方後円墳。 幕末の「文久の修陵」において、大規模な堤体の嵩上げ、浚渫(しゅんせつ)工事がなされており、築造期の状況は把握できない。 ▽データ 所在地 天理市柳本町 古墳名 行燈山古墳 形式 前方後円墳 ●参考文献/外池昇著『天皇陵の近代史』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、不二龍彦著『歴代の天皇』  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

黒塚古墳

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天理市/古墳・陵墓 エリア広域/天理・桜井 ◆黒塚古墳 ●くろつかこふん ●天理市柳本町 出土した三角縁神獣鏡は、極めて良好な状態で、過去最多の33枚の姿を現した。 古墳時代前期(3世紀後半?4世紀)の古墳と推定され、古墳の規模は現状で全長132mの前方後円墳で、当初の姿を良好にとどめている。 後円部で長大な竪穴式石室の存在が明らかとなり、副葬品も三角縁神獣鏡を中心に多数出土した。 竪穴式石室は、全長約8.3mの長大な規模で、川原石と板石を用いた合掌式の特殊な石室であった。石室中央には長さ6m、直径1m以上のクワの巨木をくり抜いた木棺を使用、現在は木棺は腐り粘土の棺台が残る。 黒塚古墳の発見は、3世紀から4世紀にかけての貴重な資料的価値をもち、邪馬台国畿内説や古代国家成立の過程を解明するための資料といえる。 ▽データ 所在地 天理市柳本町 形式 前方後円墳 築造 3世紀後半?4世紀 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-13-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

粟原寺跡

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桜井市/史跡 エリア広域/天理・桜井 中臣朝臣大嶋、比売朝臣額田、草壁皇子 ◆粟原寺跡 ●おおばらでらあと ●桜井市粟原 粟原集落南端の天満神社境内とその隣接地に塔跡と金堂跡が残り、「史跡粟原寺址」の石柱が建つ。 寺史についてほとんど文献に見られないが、粟原寺建立の次第を刻んだ三重塔の伏鉢(ふせばち)が談山神社蔵として残っている。 その露盤の銘文によると粟原寺は、中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおおしま)が天武天皇の皇子である草壁皇子の菩提を弔うため伽藍建立を発願し、比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が694年(持統天皇8)から造営を始め、715年(和銅8)に完成したことがわかる。 起工が藤原宮時代、竣工が平城宮遷都後で、この場所に草壁皇子のための寺院が、なぜ建立されたかは謎とされる。 ▽データ 所在地 桜井市粟原 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

山田寺跡

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桜井市/史跡 観光スポット/天理・桜井 蘇我倉山田石川麻呂、東面回廊、飛鳥資料館 ◆山田寺跡 ●やまだでらあと ●桜井市山田 蘇我倉山田石川麻呂が、641年(舒明天皇13)に造営着手した古代の寺院跡。 649年(大化5)、石川麻呂は反逆の罪をきせられ山田寺で自害。その後石川麻呂の嫌疑が晴れ、天智・天武により山田寺の造営を再開、685年(天武14)に、講堂の本尊丈六像の開眼供養が行われ山田寺は完成した。なお、この丈六像は、1187年(文治3)に興福寺宗徒により持ち去られ、現在は頭部のみが興福寺に残っている。 発掘調査により金堂、塔、回廊、講堂、宝蔵、南門の跡などを検出した。その中でも特筆すべきは、土砂崩れかなにかで倒壊した、金堂の東面回廊がそのままの形で発見されたことだ。「日本最古の木像建造物」として復原された東面回廊は、高市郡明日香村の「飛鳥資料館」で展示されていて、当時の木造建築の技術がうかがい知れる。 ▽データ 所在地 桜井市山田 ●参考文献/河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』 ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 観光スポット/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

談山神社

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桜井市/神社 エリア広域/天理・桜井 藤原鎌足、定慧 ◆談山神社 ●たんざんじんじゃ ●桜井市多武峰 藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。春は桜、秋は紅葉と、山全体がつつまれる様は、世界唯一の木像十三重塔とともに、参詣者はもちろんのこと、海外からの観光客も訪れる。 談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が大化の改新の相談をこの多武峰にて行い、本殿裏の「かたらい山」の故事から、「談山神社」と名づけられた。 寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の678年(天武天皇7)に、唐から帰国した鎌足の長男定慧(じょうえ)が、摂津国安威山(現大阪府茨木市)から、鎌足のゆかりの深い多武峰に改葬し、十三重塔婆、講堂を建立し、妙楽寺と称したのにはじまる。 701年(大宝元)、妙楽寺の境内に鎌足の神像を安置する方三丈の神殿が建立された。 明治初年の廃仏毀釈で神社になるまでは、多武峰寺、または単に多武峰と称する寺院であった。建物は寺院建築をそのまま遺しているため、境内は独特の雰囲気がある。 ▽データ 所在地 桜井市多武峰319 祭神 藤原鎌足 社格 別格官幣社 URL http://www.tanzan.or.jp/ ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、前川久夫編集『奈良大和路をあるく』 ●参考HP/談山神社  ●初書/2007-09-13-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
桜井市/神社 エリア広域/天理・桜井 ◆笠山荒神社 ●かさやまこうじんじゃ ●桜井市笠 大和高原の笠山(516m)山頂に鎮座する神社。明治の神仏分離により、竹林寺から本殿を笠山山頂付近に遷座、現在は、竃(かまど)の神の元締めとして、古くから信仰を集めている。 社伝によると、大和平野を見下ろす位置にあることから聖なる山とされ、山の辺の道に散在する社寺を守る神として太古から栄えた。聖徳太子、役行者、良弁僧正、弘法大師をはじめ多くの高僧が参詣、願をかけたと伝わる。 ▽データ 所在地 桜井市笠 別称 笠山三宝荒神、笠の荒神 祭神 興津彦、興津姫、土祖神 ●参考文献/高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の隠れ古社寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

大神神社

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桜井市/神社 エリア広域/天理・桜井 三輪明神、大物主神 ◆大神神社 ●おおみわじんじゃ ●桜井市三輪 わが国最古の神社の一つとして知られ、古くから「三諸(みもろ)の神奈備(かんなび)」として、神の宿る山と崇められてきた。記紀には大神(おおみわ)の神がいろいろな形で登場し、これらを三輪山神話と称する。 神殿をもたない古い神社形式をとどめ、拝殿奥に三輪鳥居が立つのみで、背後の三輪山(467.1m)を神体山(ご神体)とする。 祭神の大物主神(おおものぬしのかみ)は、大国主神とともに国土草創の神として知られる。また、酒と薬、縁結びなどにご利益がある神として、「三輪の明神さん」と呼び親しまれ、参詣する人が絶えない。 ▽データ 所在地 桜井市三輪1422 別名 三輪明神 祭神 大物主神(おおものぬしのかみ) 社格 大和国一宮、式内社、二十二社、官幣大社 URL http://www.oomiwa.or.jp/ ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、前川久夫編集『奈良大和路をあるく』、高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の隠れ古社寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●参考HP/大神神社  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

石上神宮

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天理市/神社 エリア広域/天理・桜井 七支刀、布留の社 ◆石上神宮 ●いそのかみじんぐう ●天理市布留町 神宝の「七支刀」(国宝)が伝わる石上神宮は、「布留の社」と呼ばれ、大神神社とともにわが国最古の神社と考えられ、記紀に記録される以前から古代国家の信仰の中心であったと思われる。 数々の神話がのこり、また、古代国家の武器庫的役割を果たしていたとも考えられ、多くの武器が奉納されている。 神社信仰の古式をとどめ、江戸時代までは神殿はなく背後の広大な布留山をご神体としていた。 1081年(永保元)に皇居の神嘉殿(しんかでん)を移したとされる邸宅風の拝殿と、鎌倉時代建立とされる出雲健雄神社拝殿がある。 ▽データ 所在地 天理市布留町384 祭神 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
桜井市/寺院 エリア広域/天理・桜井 日本三文殊、安倍倉梯麻呂、安倍晴明、阿倍仲麻呂、文殊像、文殊菩薩騎獅像 ◆安倍文殊院 ●あべもんじゅいん ●桜井市阿部 安倍文殊院の文殊像は、天橋立の智恩院の文殊、山形の大聖寺の文殊と共に、日本三文殊と称される。学業成就にご利益があるといわれ、受験シーズンには合格祈願に訪れる参拝者が多い。 本尊の文殊菩薩騎獅像は、大きな獅子に乗り、全体では7mを超す巨大な仏像で快慶作とされる。 境内中央の文殊池に浮かぶ金閣浮御堂に、安倍晴明像や阿倍仲麻呂像などを安置している。 左大臣の安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が創建し、安倍氏の氏寺であったといわれる。諸書には崇敬寺の名でみえ、現在の文殊院の南西300mにある安倍寺跡がその地とされる。発掘調査により法隆寺式伽藍配置であることがわかり、現在は基壇が復原され史跡公園となっている。 ▽データ 所在地 桜井市阿部 別名 安倍寺 俗称 知恵の文殊さん、安倍の文殊さん 山号 安倍山 宗派 華厳宗(別格本山) 本尊 文殊菩薩 URL http://www.abemonjuin.or.jp/ ●参考文献/西山厚著『奈良の寺寺』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、前川久夫編集『奈良大和路をあるく』、佐藤昭夫監修『奈良大和路の仏像』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

聖林寺

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桜井市/寺院 エリア広域/天理・桜井 フェノロサ、十一面観音、子安地蔵石仏 ◆聖林寺 ●しょうりんじ ●桜井市下 フェノロサが天平仏の最高傑作と絶賛した、木心乾漆の十一面観音を安置する寺として有名。また、ほがらかな表情の本堂本尊の子安地蔵石仏は、安産・子授けにご利益がある丈六の石仏である。 奈良時代の妙楽寺(現在の談山神社)の別院として、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)を開基として建立したと伝わる。 平安時代に興福寺の僧兵に焼かれ一時衰微したが、鎌倉時代に慶円上人が再興に尽力、三輪にあった平等院遍照院を移したのが現在の寺院である。 ▽データ 所在地 桜井市下692 山号 霊園山 院号 遍照院 宗派 真言宗室生寺派 本尊 子安延命地蔵菩薩 URL http://www.shorinji-temple.jp/ ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、佐藤昭夫監修『奈良大和路の仏像』、駒敏郎著『奈良の寺』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、前川久夫編集『奈良大和路をあるく』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-13-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

長谷寺

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桜井市/寺院 エリア広域/天理・桜井 西国三十三ヶ所、牡丹寺 ◆長谷寺 ●はせでら ●桜井市初瀬 『万葉集』以来、「隠口(こもりく)の初瀬」と呼ばれ、平安時代には「長谷詣」が貴族の楽しみの一つとなった。特に女性の信仰が厚く、「源氏物語」、「更科日記」、「蜻蛉日記」などに、長谷寺の記述が見られる。 創建については諸説あるが、686年(朱鳥元)に川原寺の道明上人が天武天皇の快癒を願い、銅版法華説相図(千仏多宝仏塔)をつくり、現在の泊瀬(はつせ)の地に祀ったといわれる。これを本長谷寺(もとはせでら)といい、現在の長谷寺は、727年(神亀4)に徳道上人が聖武天皇の勅により寺院の建立を発願、本堂に十一面観音を祀って、行基が開眼したのが始まりという。 仁王門から本堂までは長い登廊は、3回曲折しながら連なる約400段の石段は全国でも珍しい。 本堂本尊の十一面観音菩薩立像は、1538年(天文7)の作で重要文化財。観音菩薩と地蔵菩薩の両得を兼ねた独特の姿から、「長谷寺式」または「長谷型観音」と呼ばれる。 桜、牡丹(ぼたん)、アジサイ、紅葉など、四季折々の風情が感じられるお寺として、また西国三十三ヶ所第8番札所として、多くの参詣者が訪れる。 また、2月14日に行われる追儺会(ついなえ)、通称「だだおし」は特に有名。 ▽データ 所在地 桜井市初瀬731-1 別名 牡丹寺 山号 豊山(ぶざん) 院号 神楽院 宗派 真言宗豊山派(総本山) 本尊 十一面観音菩薩 札所 西国三十三ヶ所 第8番札所 URL http://www.hasedera.or.jp/ ●参考文献/五木寛之監修『百寺巡礼』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-13-IT 【関連タグ】 エリア広域/天理・桜井 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
宇陀市榛原区/神社 エリア広域/宇陀 八咫烏、神武東征、鴨建角身命、日本サッカー協会 ◆八咫烏神社 ●やたがらすじんじゃ ●宇陀市榛原区高塚 『新撰姓氏録』右京神別下の鴨県主(かものあがたぬし)の条に、「神武東征のさい、山中が険しく道を失ったとき、鴨建角身命(かものたけつのみのみこと)が黒衣をまとい、高い木から木へと飛び移り、大和への道案内をした。その姿がまるで八尺もあるような大烏のさまであったので、天皇はその勲功として八咫烏の称号を与えた」、とある。 その鴨建角身命を祀った神社が八咫烏神社で、705年(慶雲2)に『続日本紀』に記されていることから、すでに奈良朝以前に創祀勅祭が行われていたことがわかる。 境内には、日本サッカー協会のシンボルマークである八咫烏のモニュメントがある。 ▽データ 所在地 宇陀市榛原区高塚 祭神 建角身命(たけつのみのみこと) ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の古社寺』  ●初書/2007-09-15-IT 【関連タグ】 エリア広域/宇陀 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

墨坂神社

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宇陀市榛原区/神社 エリア広域/宇陀 神武聖跡、神武東征、墨坂大神、墨坂神 ◆墨坂神社 ●すみさかじんじゃ ●宇陀市榛原区荻原 戦前には神武聖跡として賑わった墨坂神社は、「日本書紀」、「古事記」に、神武、崇神、雄略、天武各天皇の条に、名前がのこる古代の神社。おそらく大和政権成立とともに、国家的役割を担い、立派な社殿や社地に整備されたと思われる。 「万葉集」には、神武東征のおり、すでに祭祀されていた、天御中主(あめのみなかぬし)、大物主(おおものぬし)、高皇産霊、神皇産霊、伊邪那岐、伊邪那美の六柱の祭神を総称して、「墨坂大神」あるいは「墨坂神」とする、との記録がのこる。 「日本書紀」崇神天皇9年の条にみえる、国中に疫病が蔓延し悩んでいたとき、ある夜の夢に神人が現われ、「赤盾八枚赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ」と告げられ、天皇がそのとおりに祀ると、直ちに疫病は平癒し、天下泰平となったとある。 「墨坂の神」が現在の墨坂神社の祭神で、「大坂の神」は香芝市逢坂の大坂山口神社の祭神とされる。 ▽データ 所在地 宇陀市榛原区荻原 祭神 墨坂神 ●参考文献/高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の古社寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』 ●初書/2007-09-15-IT 【関連タグ】 エリア広域/宇陀 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

室生寺

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宇陀市室生区/寺院 エリア広域/宇陀 女人高野、五重塔 ◆室生寺 ●むろうじ ●宇陀市室生区室生 女人禁制の高野山に対して、女性を慈悲深く受け入れてきた室生寺は、「女人高野」と呼ばれ、昔から多くの女性が参詣した。 春に桜と石楠花、その後の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々に移り行く自然のさまは、参詣者の心をも和ませる。 700段の石段とともに境内には、弥勒堂、金堂、本堂、五輪塔、五重塔、御影堂が立ち並ぶ。 室生寺の象徴ともいえる五重塔は、高さ約16m、屋外に現存する五重塔としては日本で最も小さい。1998年(平成10)9月の台風7号により、巨木が倒れて大きな損傷を受けたが、平成12年9月には修復工事を完成。修復資金は、日本だけでなく海外からも多額の寄金が集まり、予定より2年早く完成。多くの人々の室生寺への深い信仰と、深い愛情が感じられた。 創建については諸説あるが、近在する「龍穴」という洞穴に龍神が住むということで、古来から雨乞いの信仰が篤く、その霊場として山岳修行する僧が、龍穴神の神宮寺として造った山寺を始まりとし、天平時代末期に興福寺の大僧都賢璟(けんけい)が、山林道場として室生山寺を開いたのが現在の寺である、というのが通説である。 役行者が草創し、その後空海が再興したとする説があるが、これは室生寺が真言宗と化した後につくられた話であろう。 ▽データ 所在地 宇陀市室生区室生 別称 女人高野 山号 宀一山(べんいちさん) 宗派 真言宗室生寺派大本山 本尊 金堂...釈迦如来 弥勒堂...弥勒菩薩 本堂...如意輪観音 札所 西国薬師第八番 URL http://www.murouji.or.jp/ ●参考文献/佐藤昭夫監修『奈良大和路の仏像』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、五木寛之監修『百寺巡礼』、前川久夫編集『奈良大和路をあるく』  ●参考HP/室生寺  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/宇陀 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

佛隆寺

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宇陀市榛原区/寺院 エリア広域/宇陀 チヅキザクラ、堅恵、大和茶発祥の地 ◆佛隆寺 ●ぶつりゅうじ ●宇陀市榛原区赤埴 室生寺の南門に位置し、850年(嘉祥3)に空海の高弟である堅恵(けんね)が県興継(あがたおきつぐ)を檀主として創建した。 重要文化財に指定された石室は「堅恵の廟」と称され、榛原石で築き古墳の石室に似た施設で、平安時代前期の築造とされる。 境内に立つモチヅキザクラの巨樹は、ヤマザクラとエドヒガンの雑種で学術上貴重なもの、県下最大最古で奈良県指定天然記念物である。 寺宝に空海が唐から持ち帰ったという茶臼をもち、大和茶発祥の地といわれる。 ▽データ 所在地 宇陀市榛原区赤埴 山号 摩尼山 宗派 真言宗室生寺派 本尊 十一面観音菩薩 ●参考文献/高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の隠れ古社寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-14-IT 【関連タグ】 エリア広域/宇陀 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

大野寺

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宇陀市室生区/寺院 エリア広域/宇陀 弥勒大磨崖仏、しだれ桜 ◆大野寺 ●おおのじ ●宇陀市室生区大野 宇陀川をへだてて対岸に立つ弥勒大磨崖仏(みろくだいまがいぶつ)は国史跡で、その巨大さと美しさは石仏中の傑作といわれる。石英安山岩に彫られた高さ約14mの弥勒菩薩像で、1209年(承元3)に宋人の石工である伊行末(いのゆきすえ)とその一派が彫刻したとされる。 境内には見事な枝垂桜(しだれざくら)があり、花咲く頃は多くの観光客で賑わう桜の名所である。 寺伝によると、7世紀後半、白鳳時代に役行者によって開かれ、824年(天長元)に空海が一堂を建て、慈尊院弥勒寺と名付けたのが始まりとされ、古くから室生寺の末寺として、「室生寺の西門」と呼ばれたという。 1900年(明治33)に火災に遭っており、現在の伽藍はその後に整えられた。 ▽データ 所在地 宇陀市室生区大野1680 山号 楊柳山 宗派 真言宗室生寺派 本尊 木造弥勒菩薩立像 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会『奈良県の歴史散歩』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』 ●初書/2007-09-15-IT 【関連タグ】 エリア広域/宇陀 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/神社 エリア広域/飛鳥・橿原 延喜式内社、おんだ祭 ◆飛鳥坐神社 ●あすかにいますじんじゃ ●明日香村飛鳥 延喜式内社の「飛鳥坐神社四座」に比定される。 境内に本社、中之社をはじめ、式内社である飛鳥山口坐神社や八幡神社など48の末社がある。 二月第一日曜日に行われる「おんだ祭」は、豊年を予祝する夫婦和合の神事として名高い。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村飛鳥 祭神 事代主神、高皇産靈命、飛鳥三日比売命、大物主命 社格 式内社(名神大)・村社 本殿 四間社流造 ●参考文献/奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、竹内理三編『角川日本地名大辞典・奈良県』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-02-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
橿原市/神社 エリア広域/飛鳥・橿原 でんそそ祭 ◆畝火山口神社 ●うねびやまぐちじんじゃ ●橿原市大谷町 『新抄勅格符鈔』に、806年(平城天皇大同元)に「神封一戸を寄せられた」と載っていることから、大同以前の創建と思われる。 もとは畝火山の西の尾にあったが、のちに山頂に遷祀し、さらに1940年(昭和15)に、現在の位置に遷座し、郷社より県社となる。 7月28日、29日には「でんそそ祭」が行われる。夏痩せの子どもは、この日に綿入れの着物を着せて参ると治るといわれている。 ▽データ 所在地 橿原市大谷町 祭神 気長足姫命、豊受比売命、表筒男命 ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-02-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

橿原神宮

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橿原市/神社 エリア広域/飛鳥・橿原 神武天皇 ◆橿原神宮 ●かしはらじんぐう ●橿原市久米町 旧官幣大社。境内は畝傍山南東に49万5000平方メートルの広大な敷地をもつ。 1888年(明治21)、神武天皇陵と橿原宮跡の調査考証のおり、有志による神武天皇を祀る神社創建の請願がおこり、1889年には、京都御所から賢所を本殿に、神嘉殿を拝殿にそれぞれ移築、1890年造営竣工、官幣大社橿原神宮となる。 ▽データ 所在地 橿原市久米町934 祭神 神武天皇 社格 官幣大社、勅祭社、別表神社 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』  ●初書/2007-09-02-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

子島寺

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高取町/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 真言宗子島流、大和七福神、報恩、観覚寺 ◆子島寺 ●こじまでら ●高取町観覚寺 『元享釈書』や寺の縁起によると、760年(天平宝字4)に報恩が建立し、観自在菩薩像と四天王像を安置して子嶋寺としたとされる。 そのほか寺の創建に関して諸説あるが、983年(永観元)に興福寺僧都の真興が現在地に観覚寺を建て、真言宗子島流を興した道場が直接の前身とされる。 明治時代に荒廃し無住寺となるが、有志の尽力により復興をはたした。 真興が一条天皇の病気平癒祈願の功績により下賜されたと伝わる、紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図2幅(平安時代前期)は国宝に指定、木造十一面観音立像(平安時代前期)は重要文化財に指定されている。 ▽データ 所在地 高市郡高取町観覚寺544 山号 子嶋山 宗派 真言宗御室派 本尊 大日如来 札所他 大和七福神 ●参考文献/駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』 ●初書/2007-09-01-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

橘寺

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明日香村/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 聖徳太子、新西国三十三ヶ所 ◆橘寺 ●たちばなでら ●明日香村橘 聖徳太子生誕の地といわれ、太子建立七ヶ寺の一つに数えられる。 古い記録には「橘尼寺」と記され、680年(天武天皇9)に橘寺の尼房10房が焼けたことの記事がみられることから、この頃には成立していたと考えられる。 平安時代には東向きの四天王寺式伽藍が完成し、66の堂塔坊舎をかかえる大寺となるが、1506年に多武峯の僧兵との争いで焼き討ちに遭い、諸堂宇を失った。幕末の1864年(元治元)より再興された堂宇が今日に伝わる。 境内には、右善面、左悪面といわれる二面石があり、飛鳥地方に数多く残る謎の石造物として名高い。 ▽データ 所在地 明日香村橘 正式名 上宮皇院菩提寺 山号 佛頭山 宗派 天台宗 本尊 聖徳太子 札所 新西国三十三ヶ所第十番霊場 ●参考文献/奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、竹内理三編『角川日本地名大辞典・奈良県』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』  ●初書/2007-09-01-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 蘇我馬子、新西国三十三ヶ所、安居院、アルカイック・スマイル、飛鳥大仏 ◆飛鳥寺(安居院) ●あすかでら(あんごいん) ●明日香村飛鳥 飛鳥寺は、本格的な寺院としてはわが国最初のもので、588年(崇俊元)に蘇我馬子発願、596年(推古4)に建立し、法興寺、元興寺ともいわれた。 平城遷都(710年)に際して、718年(養老2)に飛鳥寺は平城京に移され元興寺となり、飛鳥の旧寺は本元興寺と呼ばれ法灯は守られたが、その後衰退、幕末の1826年(文政9)に中金堂跡に現在の本堂を建立し、釈迦如来坐像を安置したのが安居院である。 安居院の本尊である釈迦如来坐像は「飛鳥大仏」の名で親しまれている。アルカイック・スマイル(古典的微笑)を浮かべる飛鳥大仏は、1196年(建久7)、雷火のために堂塔残らず焼失、本尊は右手の中三本指と左耳、顔の目のあたりを残すのみとなったが、飛鳥の地に1400年もの間、微笑を浮かべながら座っている。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村飛鳥682 山号 鳥形山(とりがたやま) 院号 安居院(あんごいん) 宗派 真言宗豊山派 本尊 釈迦如来 札所 新西国三十三ヶ所第九番霊場 ●参考文献/五木寛之監修『百寺巡礼』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、竹内理三編『角川日本地名大辞典・奈良県』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-08-31-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
橿原市/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 観音寺、木造十一面観音立像、バラ、恵比寿神、大和七福八宝 ◆おふさ観音 ●おふさかんのん ●橿原市小房町 通称おふさ観音、正式名を高野山真言宗別格本山観音寺。 江戸時代に土地の娘「おふさ」が、この地で観音様を奉りはじめ、その後に、寺として発展したことに由来する。 本尊の木造十一面観音立像は、1650年(慶安3)に比叡山北谷の観音院本尊を移したもので、「小房積(おふさしゃく)の観音」として、民衆の信仰を集めている。 境内にある恵比寿社の恵比寿神は大和七福八宝霊場の一つとして、また、境内にイングリッシュローズをはじめとする1800株のバラのある寺として著名だ。 ▽データ 所在地 橿原市小房町6-22 正式名 観音寺 山号 無量山 院号 高野山真言宗 本尊 十一面観音 札所他 大和七福八宝 URL http://homepage3.nifty.com/ofusa/ ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●参考HP/おふさ観音  ●初書/2007-09-02-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

壷阪寺

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高取町/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 西国三十三ヶ所、壺坂霊験記、大観音石像、弁基上人 ◆壷阪寺 ●つぼさかでら ●高取町壷阪 平安時代には、『枕草子』、『今昔物語集』などに名のあがる大和の名所でもあり、盲目の沢市と献身的な妻お里の人情話を描いた浄瑠璃・歌舞伎「壺坂霊験記」でも知られ、眼病平癒祈願の参拝者が多い。 創建については不明な点が多く、703年(大宝3)に元興寺の僧・弁基上人が建立したとも、また『帝王編年記』には、703年に佐伯姫善心尼が建立したとも、ほか諸説あるが、出土品や塔心礎の形状から、白鳳時代の創建であることが確かめられる。 境内には、インドで制作された高さ20mの巨大な大観音石像、全長50mの仏伝図石造レリーフなど、大石造美術が点在する。 ▽データ 所在地 高市郡高取町壷阪 正式名 南法華寺 俗称 壷阪観音 山号 壷阪山 院号 平等王院 宗派 真言宗 本尊 十一面千手千眼観音菩薩 札所 西国三十三ヶ所第六番札所 ●参考文献/奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、竹内理三編『角川日本地名大辞典・奈良県』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-08-31-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

岡寺

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明日香村/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 西国三十三ヶ所、義淵 ◆岡寺 ●おかでら ●明日香村岡 7世紀末から8世紀前半に、義淵僧正(ぎえんそうじょう)が草壁皇子の岡本宮跡に建立し、精舎としたのが起源とされる。義淵開基の五竜寺の一つ。 本尊の塑像如意輪観音坐像が重要文化財、木心乾漆義淵僧正坐像が国宝、ほか奈良時代の貴重な文化財を有する。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村岡806 正式名 龍蓋寺(りゅうがいじ) 山号 東光山 院号 真珠院 宗派 真言宗豊山派 本尊 如意輪観音 拝観料 一般300円、高校生250円、中学生150円 TEL 0744-54-2007 札所 西国三十三ヶ所第七番札所 URL http://www4.kcn.ne.jp/~balance/ ●参考文献/奈良県高等学校教科等研究会歴史部会『飛鳥散歩24コース』、増田秀光編集『聖徳太子の本』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、竹内理三編『角川日本地名大辞典』、駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』  ●参考HP/岡寺  ●初書/2007-08-31-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

久米寺

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橿原市/寺院 エリア広域/飛鳥・橿原 西国薬師、来目皇子、久米仙人、クメレンゾ、大和七福八宝 ◆久米寺 ●くめでら ●橿原市久米町 久米仙人が建立したという説話や、寺伝では聖徳太子の弟である来目皇子(くめのみこ)が創建したとされる。 国重要文化財である多宝塔は、1659年(万治2)に京都の仁和寺から移建されたもの。 毎年5月3日にはクメレンゾ(二十五菩薩練供養会式)が行われ、久米仙人を乗せた輿が菩薩と練り歩く。 ▽データ 所在地 橿原市久米町502 山号 霊禅山 院号 東塔院 宗派 真言宗御室派(仁和寺別院別格本山) 本尊 薬師如来 札所他 西国薬師第七番札所、大和七福八宝霊場 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、竹内理三編『角川日本地名大辞典』、駒敏郎監修『ひとり歩きの奈良』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-08-31-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
橿原市/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 群集墳、橿原市千塚資料館 ◆新沢千塚古墳群 ●にいざわせんづかこふんぐん ●橿原市鳥屋町・北越智町・川西町 橿原市南部に位置する大型群集墳で、千塚山と呼ばれる丘陵に約600基に及ぶ大小さまざまな古墳が密集している。 大多数が直径20m程の円墳であるが、前方後円墳、方墳、長方形墳なども見られる。 代表的なものに長方形墳126号墳があげられる。竜門の透かし彫りがある金銅製の方形版、金銅製垂飾付き耳飾り、金製指輪などの装飾品、漆塗り盤、ガラス椀、皿などが出土した。 前方後円墳500号墳が4世紀後半の築造とされるが、ほとんどの古墳は5世から6世紀に造営されたと推定される。他地域の群集墳が6世紀以降の築造であることを考えると、1世紀ないしは半世紀も前に群集墳を構成していた。 隣接の橿原市千塚資料館では、新沢千塚古墳群の出土遺物を展示している。 ▽データ 所在地 橿原市鳥屋町・北越智町・川西町 築造 5世紀中ごろ?7世紀初め ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 野口王墓古墳、阿不幾乃山陵記、天武天皇、持統天皇 ◆天武陵・持統陵 ●てんむりょう・じとうりょう ●明日香村野口 檜隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)に治定されている古墳で、687年に築造がはじめられ、天武天皇を埋葬、703年に火葬された持統天皇を合葬したとされる。 江戸時代には、天武・持統陵は、五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)に治定されていた。野口王墓古墳が1235年に盗掘された石室の様子を詳細に記した『阿不幾乃(あおきの)山陵記』が、明治13年に京都栂尾(とがのお)の高山寺で発見されたことを契機に、明治14年に野口王墓古墳を天武・持統陵とした。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村野口 古墳名 野口王墓古墳 形式 八角形墳 ●参考文献/河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、河上邦彦著『大和の終末期古墳』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、外池昇著『天皇陵の近代史』、来村多加史著『風水と天皇陵』  ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 円墳、帰化系氏族、東漢氏 ◆真弓鑵子塚古墳 ●まゆみかんすづかこふん ●明日香村真弓 直径約23m、高さ約5mの円墳である。 玄室の天井は高く、側壁のもち送りが強い。石室の全長15m以上、玄室の広さ(空間の体積)では、奈良県下で2、3番目の石室である。 埋葬施設は横穴式石室であるが、通常のものとは異なり、羨道が玄室の北と南に二つ取り付くという特異な形態を持つとされる。しかし、羨道はもともと一つで、盗掘で奥壁が破壊され、通路になってしまったという説もある。 奥の通路を奥室とみると、この構造を持つ古墳の最も早い時期のもので、築造時期は6世後半から末と考えられ、飛鳥に初めて都が置かれた時期の古墳とされる。特徴的な石室形態から、帰化系氏族が被葬者と考えられる。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村真弓 形式 円墳 築造 6世紀後半?末ごろ 被葬者 東漢氏説など ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
高取町/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 前方後円墳、巨勢谷 ◆市尾墓山古墳 ●いちおはかやまこふん ●高取町市尾 巨勢谷の入り口に位置し、前方部を北西に向けた、全長66mの前方後円墳。 発掘調査により、鉄鏃、馬具、飾金具、刀子、刀、玉類、須恵器、土師器が出土。 石室の形態や出土遺物から6世紀前半から中ごろにかけて造られたと考えられ、巨勢谷に勢力をもった豪族の墳墓と考えられる。 ▽データ 所在地 高市郡高取町市尾 形式 前方後円墳 築造 6世紀前半?中ごろ ●参考文献/奈良県歴史学会『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

欽明陵

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明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 梅山古墳、平田梅山古墳 ◆欽明陵 ●きんめいりょう ●明日香村平田 主軸を東西に置く前方後円墳。現在の墳丘長は約140mであるが、南側がかなり削られており、後円部を含めてもう少し大きくなることが考えられる。 元禄15年、前方部の「字池田」から出土した猿石が置かれていたが、明治5年に現在の吉備姫王墓に移された。 良好な状況で葺石が遺存しており、『日本書紀』の「砂礫を以て檜隈陵の上に置く」という記述と合致する。 宮内庁の調査で、一定範囲で産地の異なる葺石が確認され、桜井や御所などの石が敷かれていることが明らかになった。 全国で6番目の大きさの五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)を欽明天皇陵とする説もあるが、『日本書紀』記述の葺石の施工状況から、あるいは葺石の産地が遠方から運ばさせていることは権力者でしか出来ないことなどから判断して、この梅山古墳が欽明陵の治定に間違いないという説を唱える学者もいる。 ▽データ 所在地 明日香村平田 古墳名 梅山古墳、平田梅山古墳 形式 前方後円墳 出土遺物 土師器、須恵器など 被葬者 欽明天皇説、堅塩姫説 築造年代 6世紀後半 被葬者 欽明天皇説、堅塩姫(きたしひめ)説など ●参考文献/来村多加史著『風水と天皇陵』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
橿原市/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 丸山古墳、見瀬丸山古墳、畝傍陵墓参考地、前方後円墳 ◆五条野丸山古墳 ●ごじょうのまるやまこふん ●橿原市五条野町、見瀬町 丸山古墳、通称、見瀬丸山古墳、近年では五条野丸山古墳と呼称される。 全長318mの前方後円墳。後円部の一部が畝傍陵墓参考地として宮内庁の管轄化にある。全国で6番目、奈良県内では最大の大きさであり、古墳時代後期に限れば飛びぬけた規模を誇る。 この古墳は、江戸時代には天武・持統天皇陵として比定されていた。が幕末期には、野口王墓古墳(現天武・持統天皇陵)と比定は混沌としていた。 そののち明治4年10月に、天武・持統天皇陵と比定。しかし、明治13年に京都栂尾(とがのお)の高山寺で、野口王墓古墳の盗掘された石室の様子を記した『阿不幾乃(あおきの)山陵記』が発見されたことを契機に、明治14年に野口王墓古墳を天武・持統天皇陵とし、丸山古墳は管理を解かれた。 そののち、明治30年に「陵墓伝説地」、昭和初期には「陵墓参考地」とされた。 ▽データ 所在地 橿原市五条野町、見瀬町 別名 見瀬丸山古墳、丸山古墳 治定 畝傍陵墓参考地 形式 前方後円墳 石室 横穴式石室 棺 家型石棺(凝灰岩)二基存在 (前棺・6世紀後半、奥棺7世紀前半) 築造年代 6世紀後半?7世紀前半 被葬者 欽明天皇説、堅塩姫(きたしひめ)説、蘇我稲目説、宣化天皇説 ●参考文献/外池昇著『天皇陵の近代史』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

宮塚古墳

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高取町/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 前方後円墳、巨勢谷 ◆宮塚古墳 ●みやづかこふん ●高取町市尾 前方部を東に向けた全長44mの前方後円墳で、後円部には全長約11mの横穴式石室があり、内部にはくりぬき式の家形石棺と木棺が置かれていた。 発掘調査により、太刀、小札、鉄鏃、馬具、耳環、ガラス玉、須恵器などが出土。 石室の形態や出土遺物から6世紀中ごろとされ、巨勢谷に勢力をおいた有力豪族が被葬者として考えられる。 ▽データ 所在地 高市郡高取町市尾 形式 前方後円墳 築造 6世紀中ごろ ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
高取町/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 八角形墳、草壁皇子 ◆束明神古墳 ●つかみょうじんこふん ●高取町佐田 真弓丘陵東南部にある終末期古墳。対角長(直径)36mの八角形墳。 埋葬施設は二上山の凝灰岩をブロック状に加工した約500個の石材を使用した横口式石槨。 築造年代が7世紀後半であること、墳形が八角形であること、石槨の規模が大きいことなどから、天武天皇の皇子で、文武天皇の父にあたる、草壁皇子が被葬者に考えられる。 ▽データ 所在地 高市郡高取町佐田 形式 八角形墳 石室 横口式石槨 棺 漆塗木棺 出土品 土師器、須恵器、棺飾金具、鉄釘など 築造 7世紀後半ごろ 被葬者 草壁皇子説 備考 実物大の石槨が橿原考古学研究所付属博物館前庭で展示されている ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、来村多加史著『風水と天皇陵』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『大和の終末期古墳』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 六角形墳、川嶋皇子説 ◆マルコ山古墳 ●まるこやまこふん ●明日香村真弓 墳丘が二段築成の六角形墳(あるいは円墳)で、周囲にバラス(砂利)が敷かれる。埋葬施設は二上山の凝灰岩を組み立てた横口式石槨。 様式・規模ともに、高松塚古墳の石槨に近似していて、内部全面に漆喰が塗られているが、壁画はない。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村真弓 形式 二段築成の六角形墳(※1) 二段築成の円墳(※2) 石室 横口式石槨 棺 漆塗木棺 出土品 玉類、棺金具、人骨ほか 築造 7世紀末?8世紀初め 被葬者 川嶋皇子説など 備考 古墳周辺は史跡整備されている ※1 網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ※2 明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』 ●参考文献/明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 四神図、十二支像、剥ぎ取り保存処置 ◆キトラ古墳 ●きとらこふん ●明日香村阿部山 丘陵南斜面を大きく削平した造られた直径約14m、二段築成の円墳。墳丘は版築工法で造られ、中央に二上山の凝灰岩を使った横口式石棺を置く。この地区の「北浦」という地名が転じて「キトラ」と呼ぶようになったという。 石槨内は漆喰で覆った後、壁画が描かれている。 天井には天文図、四方に玄武、青龍、朱雀、白虎の四神図が、さらに獣頭人身像が確認され、四面に3体ずつの十二支像が描かれている。壁画は劣化が著しく、剥ぎ取り保存処置が行われている。 発掘調査により、木棺内部は朱色に塗られていたこと、人骨と歯の鑑定により、熟年以上の男性1人が埋葬されていたこと、高松塚古墳とは壁画の描法に違いがあることなどがわかった。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村阿部山 形式 二段築成 円墳 築造 7世紀末?8世紀初め 被葬者 阿部御主人説、刑部皇子説など 備考 石槨の実物大模型や太刀片は明日香村埋蔵文化財展示室で展示されている ●参考文献/奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部編集『キトラ古墳』、河上邦彦著『大和の終末期古墳』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-04-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 八角形墳 ◆牽牛子塚古墳 ●けんごしづかこふん ●高市郡明日香村平田 対角長(直径)約33mの八角形墳で高さ5mの二段築成と推定される。 墳丘の中央には、巨大な凝灰岩をくり抜いてつくった横口式石槨で、南向きに開口する。 石槨内は盗掘を受けているが、発掘調査などによって、七宝製亀甲形飾金具やガラス玉などが出土している。 横口式石槨の形態、出土遺物から7世紀後半に造られた古墳と思われる。 被葬者として、斉明天皇・間人皇女(はしひとのひめみこ)合葬説、斉明天皇・建王(たけるのみこ)合葬説、川島皇子説などがある。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村平田 形式 (推定)二段築成 八角形墳 築造 7世紀後半ごろ 被葬者 斉明天皇・間人皇女合葬説、斉明天皇・建王(たけるのみこ)合葬説、川島皇子説など ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』 ●初書/2007-09-03-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 蘇我馬子 ◆石舞台古墳 ●いしぶたいこふん ●明日香村島庄 もとは一辺55mの方墳で、早くに墳丘の盛土が流出してまい、石室の天井石が水田のなかに露出していた。 1933年(昭和8)の第一次調査と1935年(昭和10)の第二次調査により、石舞台古墳造営に際し、周辺部で破壊された古墳が7基見つかった。本体部分も含めると約20基の古墳が破壊されたことになる。 おそらく群集墳のあったところを大規模に破壊し、丁寧に改葬して石舞台古墳を築いたと思われる。その点を考慮すると、被葬者は当時のかなりの権力者であるといえる。 石室の形態などから、7世紀前半に造営されたものと考えられ、蘇我馬子の桃原墓の可能性がいわれている。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村島庄 形式 方墳 築造 7世紀前半ごろ 被葬者 蘇我馬子説、蘇我蝦夷説など ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、歴史探訪研究会編『歴史地図本古代日本を訪ねる奈良飛鳥』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』  ●初書/2007-09-03-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 三段築成、八角形墳、文武天皇、檜隈安古陵 ◆中尾山古墳 ●なかおやまこふん ●明日香村平田 墳丘全面を石で覆う三段築成の八角形墳で、墳丘の直径は19.4m、古墳全体の直径は29.4m、高さ4m。 石槨の内部は丁寧に磨かれ、朱彩が施されている。広さは1m四方しかないことから、火葬骨を納めたものと考えられる。 『続日本紀』に文武天皇が火葬されたことが記されており、また八角形墳であること、築造年代からみても、文武天皇の檜隈安古陵の可能性が極めて高い。 終末期古墳の中でも、ほかに類を見ない八角形の火葬墓で、古墳研究において貴重な古墳である。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村平田 形式 三段築成八角形墳 築造 7世紀末?8世紀初め 被葬者 文武天皇説 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、歴史探訪研究会編『歴史地図本古代日本を訪ねる奈良飛鳥』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』  ●初書/2007-09-03-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 壁画古墳、彩色壁画、国特別史跡 ◆高松塚古墳 ●たかまつづかこふん ●高市郡明日香村平田 1972年(昭和47)3月の発掘調査で、石槨内から彩色壁画が発見され、一躍有名になった壁画古墳で国特別史跡。 これ以降の「飛鳥ブーム」の火付け役ともなった大発見であった。 壁画は、北壁に玄武、東壁に青龍、西壁に白虎が描かれており、中国から伝来した四神思想に沿っている。 また側壁にはそれぞれ、朝堂儀礼のスタイルで描かれた女性群像、男性群像が4人ずつ描かれ、当時の衣裳を知る資料となった。 古墳内部のようすは、隣接の壁画館で知ることができる。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村平田 形式 円墳 築造 7世紀末?8世紀前半 被葬者 忍壁皇子説、石上麻呂説など ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、歴史探訪研究会編『歴史地図本古代日本を訪ねる奈良・飛鳥』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』  ●参考HP/文化庁・高松塚古墳 ●初書/2007-09-03-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

藤原宮跡

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桜井市/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 持統天皇、文武天皇、元明天皇、新益京 ◆藤原宮跡 ●ふじわらきゅうせき ●橿原市高殿町一帯 持統天皇が694年(持統天皇8)に、飛鳥浄御原宮から遷都、文武天皇を経て、元明天皇が平城京へ遷都する710年(和銅3)までの16年間の都がおかれていた。 都の名称は『日本書紀』に「新益京(あらましのみやこ)」と記され、『万葉集』には、藤原宮は大和三山に囲まれた地にあったと記される。 ▽データ 所在地 橿原市高殿町一帯 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良文化財研究所編集『飛鳥・藤原京展』、奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部編集『藤原宮と京』 ●初書/2007-09-07-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

高取城跡

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高取町/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 高取山、豊臣秀長 ◆高取城跡 ●たかとりじょうあと ●高取町高取 高取山(583.9m)山頂にあり、南北朝以来、越智氏、本田氏、植村氏の居城であった。 1580年(天正8)、織田信長の大和一国破城令にしたがって破却された。1584年、筒井順慶によって復興。その翌年には豊臣秀長が大和に入国、郡山城とともに高取城も重視、秀長の命により本田正俊が本格的な修理を行った。 高取城の築城用石材として、飛鳥地方の古社寺の礎石や石造物が運び込まれ、それらしき石材が石垣にみえる。 ▽データ 所在地 高市郡高取町高取 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会研究部会編『飛鳥散歩24コース』  ●初書/2007-09-07-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

川原寺跡

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明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 飛鳥三大寺、藤原京四大寺 ◆川原寺跡 ●かわらでらあと ●明日香村川原 創建については、敏達天皇13年に蘇我馬子が建立したとする説、斉明天皇元年に飛鳥川原宮を寺とした説、天武朝に建てられたという説、斉明天皇没後に天智天皇が建てたとする説など、諸説ある。 伽藍配置は、中金堂の南に西金堂と塔が建つ一塔二金堂式であった。 大官大寺などとならび、飛鳥三大寺、藤原京四大寺に数えられる官寺であったが、平城遷都に際しては平城京に移転されず、その後は荒廃した。現在、かつての中金堂跡に弘福寺(ぐぶくじ)が建っている。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村川原 伽藍配置 一塔二金堂式 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』  ●初書/2007-09-06-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

檜隈寺跡

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桜井市/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 東漢一族、十三重石塔 ◆檜隈寺跡 ●ひのくまでらあと ●明日香村檜隈 東漢(やまとのあや)一族の氏寺とされる寺院跡。 発掘調査により、7世紀後半から末頃にかけて、堂塔が順次建てられたと考えられ、伽藍は西向きの特異な配置となっている。 塔跡に平安時代後期の造立とされる、凝灰岩製の十三重石塔は重要文化財に指定されている。 現在、1907年(明治40)に移された於美阿志(おみあし)神社が鎮座している。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村檜隈 ●参考文献/河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-06-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 陪冢 ◆鬼の俎・雪隠 ●おにのまないた・せっちん ●明日香村平田・野口 道をはさんで存在するこの2つの巨石は、古墳の内部施設である。鬼の俎が横口式石槨の基底石、鬼の雪隠は石槨の蓋石である。 明治31年より、宮内庁が欽明陵の陪冢(ばいちょう)として管理している。 鬼の俎の東側で、明治10年代に二つ目の俎石が出土しており、一墳丘二石槨の合装墓とも考えられている。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村平田・野口 墳丘 不明(長方形墳説) 築造 7世紀中ごろ 被葬者 斉明天皇・建王説など ●参考文献/奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』  ●初書/2007-09-06-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 亀形石造物、小判形石造物 ◆酒船石・酒船石遺跡 ●さかふねいし・さかふねいしいせき ●明日香村岡 酒船石は、長さ5.3m、幅2.3m、暑さ1mの扁平な花崗岩。両サイドに石を割るためにいれた楔穴が見られることから、元は円形に近かったと思われる。酒の醸造に使われたとか、油をしぼったとか、ゾロアスター教の密議に使う薬の調合の道具であるなどと諸説あるが、この周辺の遺構に水を引くための土管や石樋が見つかり、庭園施設の一部分である可能性が高くなった。 2000年(平成12)、酒船石のある丘陵の北裾で、亀形石造物、小判形石造物が見つかった。造形的に優れたものであり、組み合わせて導水施設となっている。谷部分に造られていること、実用的でないことなどから考えて、おそらく何らかの祭祀が行われていたと考えられる。 この丘陵一帯に広がる遺跡を「酒船石遺跡」と呼び、『日本書紀』に記されている、斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)と考えられる。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村岡 ●参考文献/千田稔著『飛鳥?水の王朝』、大和書房発行『東アジアの古代文化113号』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』  ●初書/2007-09-06-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 蘇我入鹿 ◆入鹿の首塚 ●いるかのくびづか ●明日香村飛鳥 蘇我入鹿、645年6月に飛鳥板蓋宮で起こった中大兄皇子と中臣鎌足らによるクーデター(乙巳のの変)により暗殺された。 飛鳥寺(安居院)の西側に、入鹿の首塚と伝えられる花崗岩製の五輪塔が立っている。鎌倉時代または南北朝時代の造立とみられる。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村飛鳥 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』  ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

水落遺跡

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明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 漏刻、水時計 ◆水落遺跡 ●みずおちいせき ●明日香村飛鳥 『日本書紀』に660年(斉明天皇6)5月の記録に、「皇太子(中大兄皇子)、初造漏刻(ろうこく)。使民知時」とあり、中大兄皇子が造ったとされる漏刻(水時計)台跡の遺跡。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村飛鳥 ●参考文献/河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、千田稔著『飛鳥?水の王朝』  ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

亀石

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明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 境界 ◆亀石 ●かめいし ●明日香村川原 製造された年代がわからないので定かではないが、川原寺の所領、あるいは寺域の境界を示す目的でここに置かれたのではないかといわれる。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村川原 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、千田稔著『飛鳥?水の王朝』 ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

豊浦寺跡

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明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 推古天皇、蘇我馬子、小墾田宮、豊浦尼寺、向原寺 ◆豊浦寺跡 ●とゆらでらあと ●明日香村豊浦 推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移る際、蘇我馬子が豊浦宮を譲り受け、603年(推古天皇11)に豊浦寺を建立した。日本で最初の尼寺といわれ、建興寺、小墾田豊浦寺、豊浦尼寺とも呼ばれた。 講堂跡に現・向原寺がある。 ▽データ 所在地 明日香村豊浦 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、千田稔著『飛鳥?水の王朝』  ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

飛鳥京跡

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明日香村/史跡 エリア広域/飛鳥・橿原 飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮 ◆飛鳥京跡 ●あすかきょうあと ●明日香村岡 三時期の宮殿にかかわる遺構の存在が確認されている。 舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、斉明・天智天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の宮殿があったことが、発掘調査によりほぼ解明されている。 645年、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿が刺殺された乙巳(いっし)の変の舞台。673年、壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇として飛鳥浄御原宮で即位。など、飛鳥のさまざまな歴史を刻んだ場所である。 ▽データ 所在地 高市郡明日香村岡 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、新井邦弘編集『飛鳥王朝史』  ●初書/2007-09-05-IT 【関連タグ】 エリア広域/飛鳥・橿原 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

水泥古墳

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御所市/古墳・陵墓 エリア広域/葛城 塚穴古墳、蓮華文石棺古墳、巨勢氏 ◆水泥古墳 ●みどろこふん ●御所市古瀬 北古墳と、そこから100mほど南に位置する南古墳のこれら2基をあわせて、水泥古墳という。いずれも埋葬施設は横穴式石室。 北古墳は、別名を塚穴古墳ともいい、直径約20mの円墳。 南古墳は、別名を蓮華文石棺古墳といい、直径約30mの円墳。石室内に2個の家形石棺を安置する。それぞれ六箇所の縄掛突起をもつが、南小口部の縄掛突起に6弁の蓮華文が施されている。瓦頭に使用されることが多い文様であるが、石棺に使用した事例としては全国唯一のものである。 この2基の古墳は、今木双墓(いまきのならびはか)と呼ばれ、蘇我蝦夷・入鹿の墓と伝えられてきたが、蝦夷・入鹿の墓とするには築造年代が違い、この地域からして被葬者は巨勢氏であると思われる。 ▽データ 所在地 御所市古瀬 古墳名 北古墳...塚穴古墳 南古墳...蓮華文石棺古墳 形式 両方とも円墳 築造 6世紀後半ごろ ●参考文献/河上邦彦著『大和の終末期古墳』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
御所市/古墳・陵墓 エリア広域/葛城 巨勢谷、巨勢氏 ◆新宮山古墳 ●しんぐうやまこふん ●御所市稲宿 墳形は直径25mほどの円墳と推定される。埋葬施設は横穴式石室で、玄室内に箱式石棺と家形石棺を安置。 巨勢谷地域における重要な古墳の一つで、巨勢氏の墳墓と考えられる。 ▽データ 所在地 御所市稲宿 形式 円墳 築造 6世紀中ごろ ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

船宿寺

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御所市/寺院 エリア広域/葛城 関西花の寺、ヒラドツツジ、行基 ◆船宿寺 ●せんしゅくじ ●御所市五百家 4月下旬から5月中旬にかけて、境内には1千株のヒラドツツジ、サツキ、ボタンなどが、色とりどりに咲き誇る、関西花の寺第22番札所。 寺伝によると、葛城を訪れた行基の夢枕に老人が現れ、「ここから東の山に船形の石がある。その上に薬師如来を祀るように」と告げた。夢から覚めた行基は、お告げのとおりに石を見つけ、そこに堂を建て、薬師如来を祀ったことに始まるという。 平安時代には、空海が一時的に船宿寺にとどまったという記録もある。 ▽データ 所在地 御所市五百家484 山号 医王山 宗派 高野山真言宗 本尊 薬師如来 札所 関西花の寺 第22番札所 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2005年5月号』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』 ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

石光寺

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葛城市/寺院 エリア広域/葛城 染寺、染の井、関西花の寺 ◆石光寺 ●せっこうじ ●葛城市染野 創建については白鳳期。縁起によれば、天智天皇の時代、この地で光明を放つ大石が掘り出され、仏の姿に似ていたので、天皇はこの石に弥勒仏を彫らせ、堂を建てて祀ったという。 中将姫が曼荼羅図を織るとき、化女(けじょ)があらわれて蓮糸を井戸で五色に染めたという伝承の井戸(中将姫の染の井)が境内にあり、別名を染寺ともいう。 その後の沿革は明らかではないが、現在の堂宇の大半は、江戸末期の文化年間(19世紀初頭)に聖阿によって建てられた。 1991年(平成3)には、弥勒堂の建て替えにともなう発掘調査で、白鳳期の弥勒石仏が出土し、石光伝説を裏付けるものとして注目された。 ▽データ 所在地 葛城市染野 別名 染寺 山号 慈雲院 院号 善照律院 宗派 浄土宗 本尊 弥勒堂...弥勒菩薩 常行堂...阿弥陀如来 札所 関西花の寺第20番札所 ●参考文献/駒敏郎著『奈良の寺』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

當麻寺

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葛城市/寺院 エリア広域/葛城 新西国三十三ヶ所、当麻レンゾ ◆當麻寺 ●たいまでら ●葛城市當麻 2基の三重塔は、古塔の双塔としては唯一の現存例である。中乃坊や奥院などの塔頭はボタンの名所としても有名。 寺伝によると、612年(推古20)に用明天皇の皇子麻呂子皇子(当麻皇子(たいまのみこ))が、河内国交野郡山田郷に二上山万法蔵院禅林寺として創建、その後、692年(朱鳥6)に瑞夢(ずいむ)によって、麻呂子皇子の孫の当麻真人国見(たいまのまひとくにみ)の手で現在地に移建されたという。 当麻寺は当麻真人国見に代表される当麻氏の氏寺として発展したが、中世には当麻氏が衰退し地方武士となってこの地を去った後も寺運を保てたのは、中将姫伝説と阿弥陀信仰が結びつき、有力な庶民信仰となったためである。 毎年5月14日に行われる聖衆来迎練供養会式は「当麻レンゾ」の名で親しまれる。 ▽データ 所在地 葛城市當麻1263 宗派 高野山真言宗、浄土宗 本尊 本堂...當麻曼荼羅 金堂...弥勒仏 講堂...阿弥陀如来 札所 新西国三十三ヶ所 第11番札所 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、駒敏郎著『奈良の寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

巨勢寺跡

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御所市/史跡・旧跡 エリア広域/葛城 巨勢氏、法隆寺式伽藍配置 ◆巨勢寺跡 ●こせでらあと ●御所市古瀬 創建については不明であるが、出土瓦から飛鳥時代の創建とされる。このあたりに勢力をもっていた古代豪族の巨勢氏の氏寺と考えられ、東西約100m、南北約200mにおよぶ大寺院であった。 現在は、大日堂という小堂がたち、塔の心礎と基壇跡が残る。 ▽データ 所在地 御所市古瀬 寺域 東西約100m、南北約200m 伽藍配置 法隆寺式 ●参考文献/河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、藪中五百樹著『寺院と仏像のすべて』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

葛城山

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御所市/名勝・自然 エリア広域/葛城 金剛山地、ツツジ ◆葛城山 ●かつらぎさん ●御所市 御所市の西部に位置し、金剛・生駒連合の金剛山地が南北を縦走している。金剛山地の中でひときわ目を引く二つの高峰が葛城山と金剛山。 水越峠をはさんで北にそびえる標高959.7mの葛城山は、春のツツジ、夏の納涼、秋のススキ、冬の樹氷・霧氷など、四季それぞれの自然の美しい風物と変化に富む。 山頂付近には、キャンプ場や国民宿舎葛城高原ロッジがあり、宿泊もできる。 ▽データ 所在地 御所市 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

二上山

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葛城市/名勝・自然 エリア広域/葛城 二神山 ◆二上山 ●にじょうざん ●葛城市 葛城市と大阪府太子町にまたがり、金剛山地の北部に位置する。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2峰からなり、古来より「ふたがみやま(二神山)」と呼ばれていた。奈良県側からは、日の沈む山であるために、来迎思想も生じた。 金剛山地の北部に位置し、金剛生駒紀泉国定公園の区域でもある。北側は、火山活動でできたとされる屯鶴峯。東側は、奈良県葛城市があり、当麻寺や石光寺。西側は、大阪府太子町付近で「近つ飛鳥」(河内飛鳥)と呼ばれ、陵墓・古墳など、古代の遺構が多く残る。 ▽データ 所在地 葛城市 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

屯鶴峰

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香芝市/名勝・自然 エリア広域/葛城 天然記念物、凝灰岩 ◆屯鶴峰 ●どんづるぼう ●香芝市穴虫 香芝市にある田尻峠から穴虫峠にいたる約1600mにおよぶ特異な自然景観で、1951年(昭和26)に県の天然記念物に指定された。 二上山の火山活動により角レキや火山灰が湖に沈積、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、風化・浸食されて、深い谷、奇峰、土柱などの奇岩群となった。 凝灰岩の白い色が木々の間に散在しているさまが鶴のように見えるので、屯鶴峰の名が生まれたといわれる。 ▽データ 所在地 香芝市穴虫 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-11-IT 【関連タグ】 エリア広域/葛城 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
吉野郡/神社 エリア広域/五條・吉野 上社、中社、下社 ◆丹生川上神社 ●にうかわかみじんじゃ ●川上村(上社)、東吉野村(中社)、下市町(下社) 丹生川上神社の由緒は、古くは『六国史』、『延喜式』、『類聚三代格』などに記される。『二十二社註式』によれば天武年間の創祀と伝える。『延喜式』では明神大社に列せられるが、応仁の乱後、奉幣が絶えて丹生川上神社の存在と鎮座地が不明になった。 江戸時代に社地の考証が行われ、幕末に下市町が鎮座地とされたが、『大日本史』では川上村迫としており、また東吉野村の神社との説もあり、下市町を下社、川上村迫を上社、東吉野村を中社とした。祭神もそれぞれ違いながらも、三社を丹生川上神社とし、今日に至っている。 ▽データ 所在地 上社...吉野郡川上村 中社...吉野郡東吉野村 下社...吉野郡下市町 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
吉野町/神社 エリア広域/五條・吉野 国栖奏 ◆浄見原神社 ●きよみはらじんじゃ ●吉野町南国栖 南国栖の吉野川右岸断崖上に鎮座する旧村社。 毎年旧正月14日には、国栖奏と呼ばれる古舞が、翁筋(おきなすじ)とよばれる家柄の人たちによって奉納される。応神天皇の時代の土蜘蛛とともに奉納された歌舞とされている。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町南国栖 祭神 天武天皇 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

金峯神社

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吉野町/神社 エリア広域/五條・吉野 延喜式神名帳、七高山 ◆金峯神社 ●きんぷじんじゃ ●吉野町吉野山 吉野山の尾根沿いの奥千本入口付近に鎮座。 創祀は明らかでないが、852年(仁寿2)には史書にあらわれる。 『延喜式神名帳』には、吉野郡十座の神社の中に吉野山口神社、吉野水分神社とともに名を連ね、三社とも大社に列せられる。また、金峯山は七高山の一つとして、崇められていた。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 祭神 金山毘古神 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
吉野町/神社 エリア広域/五條・吉野 延喜式神名帳 ◆吉野水分神社 ●よしのみくまりじんじゃ ●吉野町吉野山 『延喜式神名帳』には大社に列し、祈雨祭神八十五座の中に「吉野水分社一座」として記載される。 元水分神社跡と伝えられる場所から拝む山は神体山特有の円錐形の山で、東へ音無川、西へ秋野川、南へ丹生川、北へ象川(きさがわ)と流れる四水流の分水嶺として水分神の鎮座地にふさわしい地形をしている。 本殿は高い石段の上に建立され中央春日造の主殿に左右流造の三殿が一棟につながる特有の造りで、桃山時代の特色をもつ重要文化財である。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 祭神 天之水分神(あめのみくまりのかみ) ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

吉水神社

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吉野町/神社 エリア広域/五條・吉野 吉水院、役行者 ◆吉水神社 ●よしみずじんじゃ ●吉野町吉野山 元は吉水院と称し、白鳳年間に役行者の創立といわれ、吉野修験宗の僧坊であった。その後は修験道のと共に発展したが、明治維新の神仏分離により、吉水神社となる。 吉水院の寺伝には、文治元年に源義経が潜居し、延元元年に後醍醐天皇行在所となり、文禄3年に豊臣秀吉の花見の本陣となるなど、さまざまな歴史を伝える。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 祭神 後醍醐天皇 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、竹内理三編『角川日本地名辞典・奈良県』 ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

吉野神宮

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吉野町/神社 エリア広域/五條・吉野 官幣大社、後醍醐天皇 ◆吉野神宮 ●よしのじんぐう ●吉野町吉野山 旧官幣大社。1889年(明治22)に、内務省告示で官幣中社吉野宮創立、吉水神社に祀られていた後醍醐天皇の尊像が、吉野神宮の本殿に遷座され、創祀された。 1892年(明治25)の御鎮座祭には明治天皇の勅使が参向した。 1918年(大正7)に、吉野神宮と改称。今の社殿は1928年(昭和3)に竣工、1932年(昭和7)に造営が完了した。昭和を代表する近代的神社建築である。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 祭神 後醍醐天皇 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-09-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

龍泉寺

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天川村/寺院 エリア広域/五條・吉野 役小角、理源大師聖宝 ◆龍泉寺 ●りゅうせんじ ●天川村洞川 役小角を開基、理源大師聖宝を中興とする修験道の寺院。役小角が大峰山で修行中、泥川に下り泉を発見し、そのほとりに八大龍王尊を祀って行をしたのが始まりと伝え、龍王と泉から寺名としたといわれる。 ▽データ 所在地 吉野郡天川村洞川 山号 大峯山 宗派 真言宗 本尊 弥勒菩薩 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

竹林院

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吉野町/寺院 エリア広域/五條・吉野 大和三庭園 ◆竹林院 ●ちくりんいん ●吉野町吉野山 縁起によると、818年(弘仁9)、空海が大峰入峰の際に、ここに寺を建て常楽寺椿山(ちんざん)と号し、日蔵道賢が中興したといわれる。 のち吉野町時代に竹林院と改め金峯山律寺四院の一つに数えられた。 群芳園という庭園があり、大和三庭園の一つに数えられる。豊臣秀吉の吉野山観桜のとき、千利休が桃山風に修築、細川幽斎が改修した歴史をもつ。桃山風の池泉回遊式庭園の名園である。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 宗派 修験宗 本尊 不動明王、蔵王権現、役行者の三尊一体 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●参考HP/竹林院群芳園 ●初書/2007-09-07-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

如意輪寺

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吉野町/寺院 エリア広域/五條・吉野 日蔵道賢、木造厨子入蔵王権現立像 ◆如意輪寺 ●にょいりんじ ●吉野町吉野山 延喜年間に日蔵道賢の開基と伝えられ、もとは金峯山寺の搭頭寺院の一つであった。江戸時代初めには荒廃したが、1650年(慶安3)に鉄牛が本堂を修理し、現在に至る。 後醍醐天皇の勅願寺で、如意輪観音を本尊としている。寺宝の重要文化財、木造厨子入蔵王権現立像は役小角の作と伝えるが、鎌倉時代の運慶の一派である源慶の作であることがわかっている。80cmほどの小さなものだが、髪を逆立て激しい憤怒の相を見せる写実性に富んだ傑作である。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 山号 塔尾山 宗派 浄土宗 本尊 如意輪観音菩薩 ●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、駒敏郎著『奈良の寺』、西山厚著『奈良の寺寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

金峯山寺

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世界遺産 吉野町/寺院 エリア広域/五條・吉野 役行者、蔵王堂 ◆金峯山寺 ●きんぷせんじ ●吉野町吉野山 役行者を開基とする。役行者が金峯山を本拠地として修験道に励み、山岳信仰を世に広め、修験道の聖地として崇拝された。 建築では、「蔵王堂」、「仁王門」が国宝、室町時代の「銅(かね)の鳥居」が重要文化財に指定されている。 7月7日に行われる蓮華会、通称「蛙飛び」は広く知られる。 2004年(平成16)7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界遺産に登録された。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 山号 金峯山修験本宗(総本山) 本尊 金剛蔵王権現 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-07-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

金剛寺

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五條市/寺院 エリア広域/五條・吉野 西国薬師、関西花の寺、平重盛、ボタン ◆金剛寺 ●こんごうじ ●五條市野原町 吉野川の南岸にあり、ボタンの名所で知られる。関西花の寺第23番札所。 1173年(承安3)に平重盛が創建したと伝わる。戦国期に兵火で焼失し、江戸時代に野原城主畠山氏の菩提寺として復興。 本堂には、藤原時代の作とされる薬師三尊像が祀られている。 江戸末期から大正期には、唐招提寺の長老の隠居寺に当てられた。 ▽データ 所在地 五條市野原町 山号 小松山 院号 福寿院 宗派 高野山真言宗 本尊 薬師三尊 札所他 西国薬師第9番札所 関西花の寺第23番札所 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』 ●初書/2007-09-08-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

西行庵

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吉野町/史跡・旧跡 エリア広域/五條・吉野 新古今和歌集、吉野水分神社 ◆西行庵 ●さいぎょうあん ●吉野町吉野山 『新古今和歌集』の代表的な歌人のひとりである西行法師が3年ほど俗塵を避けて隠棲したとされる。 吉野山の桜を詠んだ歌が多く、吉野をこよなく愛した西行の人物像がうかがえる。かつて、西行庵に納められていた西行法師の木像は、いま吉野水分神社に移されている。 ▽データ 所在地 吉野郡吉野町吉野山 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

比曾寺跡

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大淀町/史跡・旧跡 エリア広域/五條・吉野 聖徳太子建立48ヵ寺、薬師寺式 ◆比曾寺跡 ●ひそでらあと ●吉野郡大淀町比曽 聖徳太子建立48ヵ寺の一つとされ、現光寺、比蘇寺(ひそじ)、吉野寺(よしのじ)と呼ばれたこともある。 奈良時代には多くの碩学(せきがく)の僧が住み、清和・宇多天皇の行幸、藤原道長の参詣、後醍醐天皇の行幸などの記録もみえる。 創建時の寺は南面する伽藍で、東西両塔をもつ薬師寺式の配置であったことが、今に残る塔跡の礎石や南大門跡などによりわかる。 現在、禅宗の世尊寺が、かつての講堂跡に建っている。 ▽データ 所在地 吉野郡大淀町比曽 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
大淀町/史跡・旧跡 エリア広域/五條・吉野 渡し場 ◆柳の渡し跡 ●やなぎのわたしあと ●吉野郡大淀町北六田 吉野川北岸と南岸をつなぐ渡し場の跡。 この柳の渡しのあたりは、万葉の昔から「六田の淀(むつだのよど)」として詠まれ、古来からよく知られていた。 江戸時代には、吉野山の花見や山上参りが盛んになり多くの人が、この渡しを利用して吉野山に登った。 ▽データ 所在地 吉野郡大淀町北六田 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
五條市/史跡・旧跡 エリア広域/五條・吉野 堀家住宅、吉村寅太郎 ◆賀名生皇居跡 ●あのうこうきょあと ●五條市西吉野町和田 賀名生の中心地の集落の川畔に、南朝3代の天皇の皇居と伝える堀家住宅がある。母屋は入母屋造りで室町時代の創建と伝える。 門に掲げる「皇居」の扁額(へんがく)は天誅組総裁の吉村寅太郎の筆である。 堀家の背後の丘陵上が賀名生皇居跡とされ、黒木御所のあった場所とされる。 ▽データ 所在地 五條市西吉野町和田 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-08-02-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
五條・吉野/名勝・自然 エリア広域/五條・吉野 自然公園 ◆吉野川津風呂自然公園 ●よしのがわつぶろしぜんこうえん ●五條市・吉野町・大淀町・下市町 吉野川と津風呂川合流点付近の自然公園。 吉野川の清流を保護し、水のある公園として積極的な利用を図るために指定された。夏期には多くのキャンプ客でにぎわう。 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

大台ヶ原

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上北山村/名勝・自然 エリア広域/五條・吉野 吉野熊野国立公園、松浦武四郎、古川嵩 ◆大台ヶ原 ●おおだいがはら ●上北山村 三重県との県境にある台高山脈南端に位置する標高1500m前後の台地。吉野熊野国立公園に属し、わが国屈指の多雨地帯で、年間降水量約4000mmに及ぶ。 明治初めに伊勢出身の探検家である松浦武四郎によって調査され、1891年(明治24)に美濃出身の神道家である古川嵩によって開山された。 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

吉野山

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吉野町/名勝・自然 エリア広域/五條・吉野 下千本、中千本、上千本 ◆吉野山 ●よしのやま ●吉野郡吉野町 吉野山は大峰山脈の北端に位置する山で、最高峰の青根ヶ峰から北西にのびる尾根を吉野山と総称する。 山すそから下千本、如意輪寺付近を中千本、吉野水分神社付近を上千本、西行庵あたりを奥千本と呼んでおり、4月になると山すそから山頂へ順次桜が咲き昇る。 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』  ●初書/2007-09-10-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP

広橋梅林

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下市町/名勝・自然 エリア広域/五條・吉野 三大梅林 ◆広橋梅林 ●ひろはしばいりん ●吉野郡下市町 吉野郡下市町の広橋峠の北斜面に広がる約25ヘクタールの梅林。月ヶ瀬梅林、賀名生梅林とともに、奈良県の三大梅林のひとつ。 ▽データ 所在地 吉野郡下市町 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-09-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP
五條市/名勝・自然 エリア広域/五條・吉野 三大梅林 ◆賀名生梅林 ●あのうばいりん ●五條市西吉野町 五條市西吉野町にある梅林。月ヶ瀬梅林、広橋梅林とともに奈良県の三大梅林のひとつ。 時期は、2月下旬から3月下旬にかけて、約2万本の梅が咲きほこる。 ▽データ 所在地 五條市西吉野町 ●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』  ●初書/2007-09-09-IT 【関連タグ】 エリア広域/五條・吉野 【Back Tag】 奈良っこTOP 奈良県観光TOP 観光スポットTOP